書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いちいち性別をつけなくてもよろしい

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私はリベラルな考え方をする(と本人は思っている)ので、

男性と女性では生物としては別ものだけれど、社会的存在としてはほぼ同じかな〜と思っています。

 

日本社会もうわべでは社会的性差をなくしましょう、みたいな風潮になっているけれど、本音はまったくそんなこと思ってもいないことが露呈しています。

(本気で性差をなくしたいなら、女性サービスデーとかもやめればいい。それについて声高に叫ばれないのはなぜだろう。

 数字を設定するのもどーかな。男性だろうが女性だろうが、実力がある適した人間を起用すればいい。数字は結果だから)

 

 

テレビやラジオで「これからは女の人が活躍して」云々みたいなことを言っているまったく同じ人が「嫁にいけない」だの「結婚したら料理ぐらいできないと」みたいなことを平気で発言するこの矛盾。まったく無自覚で無意識なんだろうけど、もうね、鼻で笑っちゃう。

 

私の感覚だと、今の20〜30代の男性って、いばりちらしたりしないし、気がきくし、つまりは感覚がフラットで本当にいいなぁ、と思っていて、そこにあるのは、性差よりも個体差。
未来は明るい!って思うのですが、いかんせん、ものごとを決定する人たちが、まったくこういう人種ではないのが問題だなぁ。

 

それが証拠に、いちいち、性別を区別する枕詞をつけ、性別で語りたがる。

女子アナとか女性経営者とかイクメンとか。

これ、アナウンサー、経営者、保護者、でいーんじゃないの? 

暗に、アナウンサーや経営者だけだと男性であって、育児する人(保護者)だと女性であって、そうでない性別の人もいるってことで、性別という枕詞をわざわざつけてるんだよね。

女性はこうだから、とか、男性はこうあるべし、とか、紋切り型で語るのもいい加減にして欲しい(ここに含まれない、もしくは両方含む人もいるし、こういう言い切りのたいていのこと、私は違うけどなぁ〜、な気分に陥るんだけど)

 

既成の役割分担をわざわざ植え付けるような枕詞は要らない。

 

こういうのって、無意識に刻まれるんだよね、と思ったのは、イギリスのスーパーマーケットのトイレの扉で、こんなサインを見たから(トップの写真がそれ)。

男性、女性、それぞれの絵に子どもが描かれています。

日本にもあるのかな、少なくとも私は見たことがない。

 

今の日本の若い父親はおしなべて子どもの面倒をよく見ているなぁと感じます、私の周囲では。

でも、肝心の社会をとりしきる人たちの頭がついていっていなくって(いや、変化を拒み、昔がよいと思っている)既成概念のまま物事を進めているように感じるのは、私だけでしょうか。