書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

手書き&手づくりってそんなにいいかぁ?

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あるところでラジオが流れていて、聞くともなく聞いていて、ものすごい違和感を覚えたこと。

 

年賀状は手書きだと気持ちが伝わる

 

そうかぁ〜?

手書きでもパソコンでもどっちでもいいし、メッセージも手書きでどうでもいい内容よりも、パソコンでぐっと思いのこもったものだと、断然後者の方が気持ちが伝わるけど、ね。

住所とか連絡先は、手書きはむしろやめて欲しいと思う。

クセがひどくない場合も、そこの土地になじみがないと地名の判読に迷うことあるから。

数字もそうだなぁ。判別できないこと、あります。

 

どっちがいいとか、感じ方は人それぞれで、何より私は自主的年賀状はやめちゃたし、なのですが、気になったのは、

最初から結論ありき、つまり

 

手書きがいい

 

を前提に番組が作られていたこと。

これに、ものすごおおおおい違和感。

 

同様のことってたくさんあって、家庭の食事も手づくりがいいとかっていう前提になってたり(こんなことが愛情のバロメーターだなんてたまったもんじゃない)、

な〜んだか、おいおい、いまだにそんなこと本気で言ってるの?って思っちゃう。

 

 

年賀状に話を戻すと、そんなに手書きがいいのなら、本来、葉書ってのも失礼なわけでしょ、先方に挨拶回りすればぁ、その方が気持ちはより伝わるんじゃない? まあ、今日日、先方には、よくいらっしゃいました、よりも、正月早々来やがって、って嫌がられると思うけど。

それだけ、受け止め方は時代によって変わっているわけで、来年の今ごろには、手書き? 勘弁!ってなってるかもしれないのにねぇ。

 

こーゆーの見るにつけ、時代の変化を拒む、価値観を押し付ける、ってのが如実に感じられて、立ち尽くしちゃうよ。

これは新しい! こーゆーのもありだよね、になんでならんかね?