書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ホリエモンや村上龍の本がこんな風に役立つとは!

f:id:ricorice:20161125163956j:plain福岡に居を移して5年。

海を隔てた山口で生まれ育ったものの、大学入学を機に東京に行き、そのあとはほとんどの時間を東京で過ごし、当然、仕事の経験も(実のところ、今もだけれど)東京が多かった身としては、福岡に移って大いにとまどったことのひとつにビジネス・コミュニケーションがあります。

東京と感覚が大きく違う!

 

これ、当然、県民性とかに関わることです。

つまるところメンタリティー。

隣県で生まれ育っていますから、文化的に理解できることはあるものの、メンタリティーとなると、全然違うんだなぁ、と感じざるを得ません。

(まあ、これは家庭など周囲の環境とかにもよるので、そのまま地元で働いていたら理解がやさしいことだったかもしれませんが)

 

 

とはいえ、東京との仕事が今も多いので、さあ、どうしよう!と切羽詰まった状況ではないものの、なぜ?????が常に頭の中にあり、この疑問を解消してくれるのに大いに役に立ったのは、よくあるジビネス本ではなく、その土地出身者が執筆したもの。

軸となるテーマが九州人の気質に焦点を当てたものではないにせよ、それが垣間見えるくだりがあると、思わず膝を打ってしまうのです。

 

 

たとえば、ホリエモン

『ゼロ』にある、実家についての記述を読むと、ああ、そういうことか、と納得。

 

 

たとえば、村上龍

『半島を出よ』(やっと読んだ! 久しぶりに読み応えのある高揚感のある小説を読んだ!って気分)にも、九州人のメンタリティーが滲み出る箇所があり、あ〜、そうか〜、と納得。

 

 

彼らは、地元を離れているから、こういう視点が持て、客観的に綴れるわけであることもポイント。地元で離れない人には気づけない/描けないことです。

こういうの、本の読み方の本筋からは大きく逸脱していますが、その土地出身で、その土地を離れている人が、地元のことを描くときにところどころに見せるものこそが、その土地を理解するのに大いに役立ちます。