書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

人って10言って1か2伝わればいい、3伝われば上等!

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私の基本的な考え方は

“人はわかり合えない”

ってことです。

人の気持ちになって、とはよく言われること。想像力を働かせればある程度まではたどり着けます。

でも完璧に、なんて土台無理だし、それを“分かった”気になるのはおこがましいと思うのです。

努力すれば分かりあえる、分かりあえることを前提とするのは、欺瞞じゃないかって思うんですよね。

 

じゃあ、伝えることをしなければいいのか、というと、そこは逆。

“言ってもわからないかもしれないけれど、言わなければもっと分からない”から。

 

これ、伝える方が説明不足なわけでも、受ける方の理解力がないわけでもなく、そもそも同じことを同じように捉えていない、ってことなんです。

だからズレが生じるのは当然のこと。

 

 

なんてことをぼんやりと感じていたのを、しっかり意識するようになったのは、25歳ぐらいのとき以降。

なぜかっていうと、当時、書籍などを作る編集プロダクションにいて、自分が実質編集長という立場で仕事をするようになったから。

ライターにしろ、カメラマンにしろ、デザイナーにしろ、常にディレクションするのが仕事なわけです。

 

今もそうですが、自分が船頭のときは、割と細かく指示を出す方だと思います。

なぜかっていうと、どんなにきちんと説明しないと(しても)100%伝わるなんてことはありえない。だからこそ、しっかり伝える。

でも、もちろん伝わらないこともあります。

そんなときは、他人に対して必要以上の期待値を抱いていないので、こんなもんかな、ってところです。

 

もうひとつ。

私が割と細かく指示を出すのは、お願いしたとおりにやって欲しい、ということではなく、方向性を明らかにしたいから。

その核さえぶれていなければ、あとはその人の解釈でやってもらっていいとも考えています。

もしかしたら、自分では考え及ばなかった、おっ、ってものがあがってくるかも。だからこそ、プロに発注するわけでもあるのです。

いい意味で、期待を裏切られるって、うれしいもんですよ。