書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

きれいな文章が心を打つわけではない

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特にブログに多いかなぁ、自分で発信しようとする人が尻込みしてしまう原因のひとつに

“文章がうまく書けない”

というのがあるようです。

 

それをふまえて、でしょう、ライターを生業(私のことで、ライティングは仕事のひとつ)としている人はいいよね〜、とも言われます。

 

でも、プロとして文章を書いているがゆえに、自身のブログをつまらなくさせていること、思いっきり自覚しています。

 

どういうことか。

日本語としてなるべくおかしくなくって、きれいにまとまった文章を書こうと、ついしちゃうんですよね。

 

これの何がいけないの?と思うかもしれません。

私が10年以上続けているブログの場合、思ったこと、感じたことを書く、というよりは、情報を伝えることに重きをおいているのですが、たま〜に感情ほとばしる本音ビシバシの文章を書くと、そっちの方が断然アクセス数がいいのです。

 

情報を伝える記事の場合、文章よりも、名称やリンク先が間違っていないか、出典が合っているか確認します。手持ちの写真からふさわしいものを探したりもします。そして、これらの作業ってえらく時間がかかるんです。

ところが、感情をぶつけた文章って、あとで“てにをは”は直すにしろ、一気に書き上げます。なので、ところどころ日本語として明らかにおかしい部分も、多々あります。

でも、そっちの方がよっぽど共感を呼ぶんですよね〜。

 

狙ってわざとおかしく書く必要はありませんが、思ったり感じたりしていることを素直に表現すれば、それでいいのです。

そして、これこそが個人メディアとしてのブログの味わいであり運営者の個性なんだと思います。

 

うまい文章、きれいな文章

よりも

勢いと強い思いのある文章

の方がよっぽど心を打つのです。