書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

朱夏を通り越し、白秋に突入するので

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以下、私のための備忘録。

(編集者の端くれとして)報道に漠然とモヤモヤを感じていたので、腑に落ちた感じ。

http://live.millionyearsbookstore.com/dokohei.../ijime/2865/

http://live.millionyearsbookstore.com/dokohei.../ijime/2874/

http://live.millionyearsbookstore.com/dokohei.../ijime/2878/

(※期間限定の公開です)

 

2021年7月現在、1969年の早生まれの私は52歳です。

 

7月14日にメンバーとして発表があった時は、へ〜、ぐらいのもんだったのですが、

問題が表面化し16日に本人が声明文を出してからは、

自分でもびっくりするほど、この問題が頭を占めて、1週間ほど文字通り仕事が手につかない状態に。
ricorice.hatenablog.com

 

 

ショック、というよりも、時代が確実に変わっている、青春期がとっくに終わっている(これはこれで掘り下げることなんだけど、一見したところでざっくりというと)現実を突きつけられたからかもしれない。

 

 

で、FBで上記のリンクをシェアしたところ、コメントを頂戴し、返信したところ、長くなってしまったので、ならば記録に残しておこうと、こちらのブログにも整理して記しておきます。

 

 

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私の手元には今もR誌があります。

この号は判型が変わったリニューアル第1号で、私、邦楽誌はほとんど買ったことがないのだけれど、何が変わったんだろうというのを知りたくて買ったんです。

 

記事の例のくだりを読んだときは、「こいつ、どうしようもないな」というのと同時に、本人(&事務所)はよくこんな話をして掲載OKにしたし、編集部は話を聞き出しよく掲載したな、と驚きました。

どう話を引き出し、掲載するかどうかのラインはどこに置くか、と駆け出しの私に課題を突きつけられたようで、それでずっと持っているんです。

 

一連の報道が出たときに、(この場合は作品の背景として、どういう人間がどういう姿勢や思考で手がけているかを)いいも悪いも読者に見せることで、その仕事をしたわけで、全くないとは言わないけれど、編集部が加担したとか同調したとかには思えなかったんですね、元の記事を全部を読んでいた身としては。

 

件の記事をお蔵入りにしたらよかったのか、改心させればよかったのか。

それは違う。

メディアは立脚点を明らかにする必要はあるけれど、伝えるのが仕事で善悪の判断を下すことじゃない、と私は考えるのです。

 

 

R誌は2万字でしょ、Q誌は20ページ以上だったかな、そうすると取材を受ける方も相当覚悟が必要なわけですよ。うっかり口が滑る、それも掲載されるわけですから。

新聞社は今でも確認をとらないのでは、と思いますが、出版社は当時も基本確認は取っています。ただR誌の場合は、記事の中にもあったようにそういう方針じゃないと聞いていたので、やってなかったかもしれない。

 

話す方が盛る、ってことは実際あるんです。盛り上がってつい、というか、一種のサービス精神というか。もちろん、何もないところにではないですよ。あと記憶違いとか言い間違いもある(それもあって確認を取るんです)。

長い記事だと録音し、文字起こしをして、それを体裁を整えて(同じことを言っていれば省く、とか、相槌を入れない、とか、主語を入れる、とか、前後を入れ替えて読みやすい記事にする、とか)、という流れなので、捏造、ってことはないんですよね。

あらかじめ企画の着地点が決まっていない記事であれば、なおさら、取材した内容から変える、ってことはない。

 

いじめとか、もっというと戦争とか、永久になくならないと思っています。

だからそれでいい、ってことじゃない、ないに越したことはない。

人間は、もちろん私も攻撃性や残忍さを兼ね備えていると思っているからです。

それを踏まえた上で、どうするか。

 

人間性と作品は、リンクする部分もあればそうでない部分もある。

才能があるのは紛れもないことと思っています。もしかしたら、そこに攻撃性や残忍さが潜んでいて、それが私を惹きつける要素のひとつなのかもしれないし、それとは全く違って純粋に音楽センスなのかもしれない。

 

今は随分と様相が変わりましたが、ミュージシャンにしろ、クリエイターと呼ばれる人たちって一般的な社会規範からはみ出していて、尖っている部分と欠落している部分の差が大きく、バランスが悪いんですよね(中には全て兼ね備えた聖人のような人もいますが、稀)。

行き着く果てに音楽とかあってよかったね、ってなもんだし。

 

 

やったことは犯罪レベルなのは事実でしょう。

それはそれとして、報道の熱の帯び方、一部を切り取ること、揚げ足を取ることには底知れぬ恐怖を感じます。

そして、これを機に、自主規制というか、体裁の悪いことは隠す、やばそうだな、と思った発言や意見は世の中に出なくなる方向に舵が切られそうで、私はそれが怖い。

 

 

青春の終わり

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40歳を過ぎた頃からか、自分の年齢がとっさに出てこなくなった。

私は1969年の早生まれなので、現在、2021年夏の時点では52歳である。

 

ここのところ、ぼんやりと青春の終わりはいつなんだろうと考えていた。

もちろん人によって違うし、青春、みたいなものが私にあったのか疑問だし、そもそも青春とはなんだろうということにもなる。

 

なぜ、そう思うか、というと、年齢は重ねているのに、実態が伴っていないように感じられるから。

環境と自分という容れ物、この2つにほとんど変化がないので、加齢を感じにくいのだ。

 

子供やペット、パートナーと暮らしていれば、彼らの変化を通じて、経年を感じるのだろうが、それがない。

フリーランサーで、かれこれ20年組織に属していないので、昇進、役職みたいなものとも無縁。

これが環境という外的要因。

 

自分という容れ物については、しみ、しわこそしっかりあるももの、

白髪は増え細くはなったものの、概して髪の毛は黒く、量も多い。

そろそろ、なんだろうけど、閉経もまだだし。

体型がほとんど変わっていないので、20代の頃の服をいまだに着ることもある。

食欲は落ちてなくって大食感のままだし、お酒はそもそもほとんど飲まないから弱くなったも何もない。

睡眠にいたっては、ロングスリーパーのままで毎日10時間ぐらい眠れるといいなぁ、と思っている。

夜中や早朝に起きることもないし。

 

こんな感じで、自分に変化が乏しいからだろう、加齢を感じにくい。

いつまでも、自分の好き勝手、ふらふらとした生活を送っている。

逆に言えば、人は自分を取り巻くもので経年を実感し、そのひとつが青春の終わりになるのかな。

 

就職する、とか、子供を授かる、とか、家庭を持つ、とか、スタッフを雇う、とか、家を買う、とか、

自分以外に背負うものができたときに、青春の終わり、みたいなことを強く感じ、次のステージに行くのかもしれない。

 

 

去年2月に数年ぶりに東京に戻り、渋谷や下北沢を歩くと、やけにしみじみしてしまう。

かつてはこうだった、昔はよかった、というつもりはない。その変化に驚き、置いてけぼりを喰らったような気分になるのだ。

 

その雑誌を買ったのは、渋谷のHMVだった、と思う。

音楽好きだけど、洋楽オルタナティブにどっぷりだったこともあり、邦楽誌は数えるほどしか買ったことがなかった。

でも、彼や彼らの音楽は、まったくの同世代で、サンプリング的なそのルーツは私自身影響を受けまくったもので、やられた!と思った。
なので、その邦楽誌は、表紙だったこともあるけれど、判型や誌面デザインが大きく変わって文芸誌(一部では表紙の写真から編み物雑誌か?とも言われた)っぽくなったので、へぇ〜、と思って購入したのだ。

 

1990年代の倫理観や社会背景が今よりもずいぶん緩かったとはいえ、想像を絶する内容に驚愕すると同時に、出版の世界に足を踏み入れた頃の私は、

これを掲載する出版社の判断(出版社判断でお蔵入りにするのでなく、特に長いインタビューの場合はいい/悪いも、こういう人間が作品を作っている、と掲載する。加えて、1980年代後半から1990年代はいじめが大きな社会問題として取り上げられていたし、それもあって、掲載したのでは、と推察する)、掲載OKとした、本人でないにしろ事務所の判断にも驚き、

引っ越すたびに雑誌はかなり処分し、前回もそうだったのだけれど、見ると大きな問題を突きつけられた記憶が呼び戻され、結局まだ手元にある。

 

最近のは聞いていないからわからない。

1990年代のものは、前身のバンド時代から好きで、でもそこには、私自身が持つ攻撃性が作品からそのニオイを嗅ぎ取り、いいと感じたのかもしれない。

 

問題が大きくなる数日前、メンバーとして紹介されたとき、へぇ〜、ぐらいで、サブカルの大物(この言い方もどうかと思うが)を連れてきたからといって、特にオリンピックに興味が湧いたわけではない

(もともとオリンピックには興味がなく、毎回アテネでやってくれ、日常生活、特に交通に支障を与えないでくれ、ってなもんである、マラソンにも興味がないので、同じ)。

ふむ、こういう役割を打診され、引き受ける、ってことが、大人になるってことか、青春の終わり、ってことか、って思ったのだ

こういう仕事を打診されたことに速攻で断るタイプの人に思えたので、まさか引き受けるとは、と驚いたのだ。

 

本当に青春の終わりを感じたのは、本人からの声明文が出たとき。

だんまりを決め込まず、のらりくらりにせず、こういう形でこういう内容の声明文を出すのか。。。

 

 

すっかりネット老人会に属している私が自分のマシンをもちネットを始めたのは1995年。

音楽活動以外にもレーベルのやり方とか商売の仕方とかうまいな、と思っていて、そのレーベルはウェブサイトも大手などに先駆ける形で、しっかりしたものを作っていた、はず。

1996年夏にがイギリスでもそのサイトを見たので、まさにworld side webを実感したのだ。

 

問題になっている内容については、ネットではこれまでもときどき掘り起こされていた。

何も今回が初めてではない。

でも、今までとの大きな違いは、それまで知らなかった、内容どころかその本人すら知らなかった人にも行き渡り、オールドメディアでも取り上げられている点である。

 

現在、倫理観は大きく問われるし、ネットの声は世論を動かす。

いち早くネットに関わった(であろう)人が、こうやってネットで葬られつつある。

時代を先駆けていたはずが、時代に追い越されちゃった、感じ。

時代は、社会は、明らかに変わる。

 

 

こうして、私の青春期にようやく決別できそうである。大手を振って老年期にスライドするとしよう。

 

少しはすっきりした気分で

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毎年、大掃除らしい大掃除はしなくって、

それは一応それなりに日常的に掃除をしていたから。

 

私は片づけは苦手なのですが、汚いのは平気じゃない(特に水回り)。

今年は10月中旬にガタッと心身ともにやられて、最低限のことしかしない(できない)日々が続き、掃除も目についた時に掃除機をかける程度。

 

暮れも押し迫って、暖かくなってのんびりやるかな、と思っていたのですが、コーヒーをこぼして床を拭いたら、なんとまあ、汚いこと。

ここまで放っておいた自分に呆れ、昨日&今日と家全体に掃除機をかけて拭き掃除をして、もっともっと、まだまだ、だけれど、とりあえず。

 

とりあえず、すっきりした〜!

きれいになった様子もさることながら、汚れた雑巾とか掃除機にたまったゴミやホコリは達成感があるなぁ。

 

 

よかった、よかった!

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いつもは、多少遅れても、大した内容ではなくても、律儀にレスをくださる方から、連絡がない。

何度か連絡を入れてもそのまま。

 

いつもだったら、忙しいんだろうなぁ、とやり過ごすのですが、

コロナに感染? 事故に遭った?

なんて可能性も否定できないので

(どうも私は、自分がある日突然、たった数日で死ぬ寸前まで行った経験があるので、世の中何が起こってもおかしくないと思っている)、

かっちりではないにしろ、返事が欲しい内容もあったのを理由に電話を。

 

忙しかったようで、病気などではなかったようで安心。声も元気そうで、安心。

もやもやを抱えず、年が越せそうです。

どか食いに気をつけよう

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昨日、夕食が遅くなり、食べ始めるまでそうではなかったのだけれど、いったん口にしたら恐ろしいほどの食欲が襲ってきて、食べる食べる。

 

いつもの倍以上の量を食べ終わろとしたら、お腹が痛くなり、明らかに急にたくさん食べたので胃がびっくりして受け付けを拒否した様子。

苦しくってトイレに駆け込んだ後は横になって、ウンウン唸る。

 

どか食いはよくない。。。

身をもって体験してしまったよ。

 

 

今日は夕方まで布団の中でゆっくり。

お腹はすいているような、すいていないような。。。

白湯やお茶は飲んだけれど、気づけば24時間以上食べていない。

何か消化のいいものを入れておいた方がいいかな。

お腹が空いてから食べると、満腹中枢がやられて、懲りずにどか食いしそうだし。

 

こんなこと初めてだけれど、ぜんざいを食べたくなった。

お散歩かねて、深夜までやっているスーパーマーケットに行くとしますか。

 

クリスマスにクリスマス商品はもうない

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25日の夜、必要なものが出てきてスーパーマーケットに。

すると、すでにお正月仕様に。

クリスマスアイテムはあるにはあるけれど、まとめて隅に。

 

25日まではクリスマスで、26日になると同時にお正月、だと思っていて、実際にそうだった記憶があるけれど、もはや過去のことなのね〜。

日常を自分の手と足で取り戻す

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10月中旬に心身ともに調子を崩しておとなしくしていたのですが、1カ月経ってある程度戻り、2カ月経って日常に完全に戻り、先日、数カ月ぶりに知っているお店に顔を出しました。

滅入ったときに心配してくださったので、顔を見てお礼を言いたかったのと、今年中に訪問しておきたかったから。

 

果たして、快く出迎えてくださり、徒歩圏内に職場でもない家庭でもない、サードプレイスとはよく言ったもので、こういうスポットがあることで、今のこの場所に引っ越してきてよかったな、と思う。

事細かにあれこれ話したわけじゃない、むしろ言葉少なに、ちょっと心身ともにやられちゃって、と言ったことにあれこれ詮索されない、その距離感に救われた。

 

ありがとうございました!

今年中に顔を出せてよかったです。