書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

価値観は変わる、のだけれども

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ここ1週間ほど、話題となったこれ(↓)。

https://twitter.com/i/events/1281034597426360323

togetter.com

 

なんだかなぁ。

それについては噴出しているので、ここでは言わないけれど、

同時に、こういう発言って、ひと昔前は賞賛を持って迎えられていたんじゃないか、って感じたりもするのです。

 

テレビ番組『噂の!東京マガジン』の「やって!TRY」のコーナーで料理ができない若者をあげつらうコーナーとか(今もやってるのかな? やってなかったらごめんなさい。テレビをおいていないので、わからないのだ)、

地方の政治家の“子供を産んでなんぼ”みたいな発言とか、

これらはすべて地続きなんじゃないかな。

 

本人たちはまったく悪気がない。

むしろ、よく言った、よく斬った、ぐらいの気持ちだろうし、ひと昔前は世間もそういう態度だった。

だから、自分の発言を信じて疑っていない。時代が変わったことにも気づいていない。

むしろ、時代の変化をけしからん!とすら思っている、

エライさん的立場の人なので、誰も指摘しないだろうし、そもそも指摘するような人間は周囲においていないのかもしれない。

 

 

ポテトサラダ作るの大変!とか、母親ならなんて!とか、いくら言っても、当の発言者にはまったく届かないでしょう。届いてところで、耳を傾けるとも思えない。

こういう人たちと関わらざるを得ない状況におかれたらどうるするか。

う〜ん、考えちゃうなぁ。

 

そして、初老である私とて、こうなる可能性はあるし、すでにこうかもしれない。

歳をとるとはこういうことなのか、私は歳をとればとるほどその人に近づくと思っていて、より個人の本質が出やすくなる、ということなのか。