書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

人が喜ぶ姿を見るのは根源的な喜びなんだと実感する

f:id:ricorice:20200505124452j:plain

 

6月20日(土)・21日(日)から隔週末、第1・3土日曜に、ライフワークであるイギリス菓子の出張販売をすることになりました(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

お菓子と一緒に、もちろん飲み物だけ、という方のためにドリンクメニューも用意。

ドリンクメニューは、お借りする工房、Bottega Mimosaでお出しになっているメニューを共有することにしました

(Bottega Mimosaさんは、私と入れ違い、第2・4土日曜が営業日。イタリアなど各国のお菓子やお惣菜などをお出しになります)。

 

工房の使い方とドリンクメニューの作り方を覚えるために、先日2日にわたっておうかがいして実践で練習。

こういうのはレジュメがあっても、実際に動いてみないと、なかなか体で理解できなかったりするんですよね。

 

何時間もご一緒するので、いろんな話を。

実践にあたり、材料や資材、オペレーションなどの情報を得ることができたのもありがたかった。

 

作り手はそうなっちゃうんだなぁ、と思ったのが、

お金を払ってお客さんに出すには、いい材料を使いたくなる、ということです。

初期の、叩きの叩きの試作の段階では、食べるのは自分、せいぜい身内。

そこで使うのは、ごくありふれた一般に流通している材料。

そこからあーでもないこーでもない、と試行錯誤を重ねます。

 

私が運営しているもうひとつのブログで披露しているレシピでは(↓)、

ricorice.exblog.jp

家で作る、を前提としているので、味は及第点、95点でなく、70点でいいので、なるべく少ない材料でなるべく簡単に作れることを意識しています。,

なので、もう少しこうすればもっとおいしくなる、というものが多いのですが、あくまでも基本に終始し、余地がある部分は自分自身が、または活用してくださる方が、アレンジしていけばいい。

 

ところが、自分が製造したものを他人に提供するとなると話が変わってくる。

少しでも質のいいものを作りたい、と思っちゃうんですよね。

その手段として、いい材料を使いたくなる。

でも、良質な材料を使うとその分、価格に反映させることになる。

兼ね合いがむずかしい。

 

そんなことを話したら、Bottega Mimosaさんも同じだ、と。

 

 

よく考えてみれば、自分が作った料理やお菓子を誰かと食べるとき、味は変わらないにしても、見栄えのいい方を同席する人に与える行為と、根本的には同じかもなぁ。

そういう気持ちがあることは否定しないけれど、そこにあるのは見栄を張りたい、というのではなく、目の前の人に少しでも喜んで欲しい、って気持ち。

そして、その喜びは、自分の喜びにもなる、ってことなんだろうなぁ。

 

誰かが喜んでくれる、誰かの役に立つ、というのは、一見些細なことでも根源的な喜びなのかもしれないね。