いつもいつも真っ先に感じる素朴な疑問
これまでもこういうことはあったけれど、新型コロナウイルスで、見聞きすることが増えて、
その度に素朴な疑問が、私の頭に浮かび上がります。
学校が休校になって、子供がずっと家にいて大変!
うん。そりゃそうなんだろうけど、
「いつもはそうはいかないけれど、今はずっと一緒にいられてうれしい。ごはんもおやつも食卓をゆっくり囲めてうれしい」
「たまにはこういう日があってもいい」
みたいな声が上がってこないのはなぜだろう?
子どもの世話を請け負うシステムが少ない社会であることは、いったんおいておきます。
私が子どもだったら、
「四六時中家にいられると、食事の支度もしないといけないし、遊び相手にもならないといけないし、勉強も見てやらないといけないし、勘弁してくれ!」
って言われたら、
「そんなに嫌だったら産まなきゃよかったじゃない! 自分たちが勝手に産んでおいて、いざ育ったら、手がかかって困る、なんて言うなよ!」
って怒り狂うと思うんだけどな〜。
同様に、パートナーが家にずっといて困る、ってのもなんだかね。
もちろん、ずっと持続する愛情ってのは稀で、時間の経過とともに相手が変われば自分も変わるし、同じベクトルで同じような熱量でないと、むずかしいとは思うんだけれど、
それでも、嫌な相手とずっと居続ける、ってなんだろう。
「一緒に住んでいても、一緒の時間がなかなか共有できない。今はその時間がもててうれしい」
みたいな声もほとんどきかないねぇ。
な〜んか寂しい、なぁ。
私にパートナーがいて、「ずっと一緒にいるこの状況は勘弁してくれ!」って思ったとしたら、とっとと別れちゃうな〜。
精神的につらくない、の?
そして、そういう言動を公にするってのは相手に対して失礼じゃないの?
(それって、“自分は正しい”が根底にあって、その自分の指針にそぐわない言動をするパートナーにうんざりする自分勝手さであって、相手の尊厳を無視している、ってことの表れにもみえる)
あなたは一緒に暮らす子供もパートナーもいないから、そんなこと言えるのよ、なんでしょうが、
だからこそ、根源的ともいえる、素直で素朴な疑問でもあるんだよ。