書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こういう人たちがいることを忘れないようにしたい

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2月上旬に引っ越して移り住んだ物件は、歩いて回れる範囲に銭湯がいくつもあり、

へぇ〜、なんて思っていたのですが、

このあたりは住宅街でお年寄りも多く、

家にお風呂があっても掃除は大変だし、お友達とおしゃべりしたいし、

で銭湯に来てるんだよ〜、という話を聞いて、

あっ、そうか!となりました。

 

私自身、歳をとったら、都心のど真ん中、駅至近、ビルの1階の狭小な部屋に住みたいもの!(家が広かったり庭があったりすると、掃除が大変)

妙に納得したのでした。

 

 

これもそれと本質的には同じ、かな?(↓)

togetter.com

 

新型コロナウイルスの影響で、おこもりな状況ではあるものの、

私は、家事が苦手な人ややりたくない人は、時間があるからといって、無理にやらなくてもいい、

好きなことをしたり、ひたすら、だら〜っと過ごしたりしても、それはそれでいいんじゃない、と思っています。

 

でも、食事とか入浴とかは、生活に必要な行動なわけで、

じゃあどうする?となったら、外にあるそういう場所に出向かなきゃいけない。

私は、それをダメ!は言えないなぁ。

 

本当にどうにもこうにも切迫した状況なら、そうせざるを得ないけれど、

でも、そういう場を奪うことで、日常生活が送れなくなり、同時に心がバッサリやられることの方が心配。

 

自分の近しい人だったら、どうするか。

迷うねぇ。

以前、本質的に似通ったことがあったときに、私は「ダメ!」と強く言えなかったな。

こういういう状況だから、ちょっと控えたら、ぐらいしか言えなかった。

当たり前だけれど、相手もひとりの人間だし、本人も事態は理解していだろうけど、

でも、他にこれ!という趣味がなかったり、熱中することがなかったりする人から、特に歳をとった人から日常のささやかな楽しみをガンと奪うことはできなかったよ。

 

 

で、いつも思うんだけど、豊かな社会、成熟した社会、ってこういう人たち、といっていいのか、

マイノリティーというか弱者というか、そういう人たちが安心して過ごせる社会だ、って思ってるのよね。

 

 

もうひとつ思ったのが、飲食店にしろ、銭湯にしろ、やっぱり場なんだね。

ただ食べる、ただお風呂に入る、だけだったら、

食事であればデリバリーや出来合いを買ってきて、自分の家でもいいわけだもんね。

 

孤独を癒す、とまではいかないまでも、人がいて楽しそうにしているなかにいる安らぎ、ってのもあると思うのよね。

年寄りが取りざたされているけれど、それは時間がある人が多いからであって、

子供でも青年でも中年でも、時間があれば時間がある分、ほんのりと人恋しくなる時間が増えて、そういう場に向かいたくなる、ってのはあるんじゃないかな。