書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

完全に後者だなぁ、私

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へえええ〜っ!

karapaia.com

 

私、完全に後者です。

思考を脳内で言語化してから話す、ってことはないし、もっと言うと、思考を脳内で言語化してから書く、ってこともない、仕事でも。もっとも仕事の場合は脳内で熟成はさせるけれど。

 

なので、アウトプットして初めて自分はこんなことを下考えていたのか、と驚くことしばしば。

同時に、話したり書いたりしながら、思考を言語化すると同時に整理して体系化する、ってことも。

 

質問されて、それが日常会話だけでなく、仕事でも咄嗟にうまく答えられないことがしばしばあるのは、

普段思考を言語化するってことをしていないからなんだよねぇ。

 

自分の言動に理性はなく本能に従っているなぁ、と思っていて、

そしてその方が自分が心地よく納得できるのだけれど、

思考を言語化してから話したり綴ったりしない、ってのは、この理性の欠如tもつながっているのかもしれない。

 

 

自分の記憶の仕方が完全に視覚ありきで、

年号や元素記号をゴロ合わせではなく、見た目の感じで、

人の名前も文字に変換してそれを文字としてではなく視覚イメージとして

記憶するというね。

 

なので、人の名前も字面は覚えていても読み方がわからなくなったり

(例えば、“河野”さんの場合は、“河野”さんとして覚えるのが最優先で、“こうの”さんなんか“かわの”さんなのかのは、記憶の順番として後手に回る)、

その延長で、漢字が書けても読めない、ってことも少なくない。

 

 

自分の脳の回線って気になるなぁ。調べたいなぁ。