書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

雑誌を買わなくなったけれど、それでも

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結局、ほとんどの雑誌ってすきま時間を埋めるための退屈しのぎだったんだよなぁ。

 

先日、何気ない話をしていたときに、ご一緒していた方は同じような仕事をしていることもあり、

「雑誌を買わなって久しいなぁ」から、

「じゃあ、仕事を離れて、あくまで個人としてどんな雑誌を買っているのか」という話になり、

先方があげたのは、高校野球の雑誌。

私は、というと、WiredとかSFマガジンとか建築系の雑誌をたまに。

 

その方は、高校野球の大ファンで、私は、近未来を感じさせるものが好きで、

おっ!と思うものがあったら飛びついちゃう、という。

 

あっ、そうか!

結局、なんとなく、が盛ってあるものはネットで十分で、

熱量を持って、これを知りたい!これ好き! は知識欲を満たしたいのと同時に、所有欲にわき上がってくるので、買っちゃう、ってことかな。

 

情報を得るためのものではなく、形は変わったけれど同人誌としての側面が強くなった、ってことか。

ということは、部数は少なくても、 “好き”の濃縮度が高いものは確実にファンはつく、てことか。

 

雑誌が売れない、ってのは構造的な問題もあるけれど、それだけじゃない。

こちらから読者をふるいにかける、ぐらいの気持ちで、思い切ってふり切る、ってことも求められているのかもしれないね。