書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

これ、書籍化したいなぁ

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数年前に、それまでときどき訪問して重宝していた、情報が整理してまとめられていたサイトが突然閉鎖され、途方に暮れてしまったことがありまして。

 

そのことを受けて、直後だったか、これはとっておきたいと思っていたウェブコンテンツがあり、プリントアウトしてとっておいたものが、先日部屋の整理整頓をしていたら出てきました。

 

何年も読んでいなかったし捨てよう、と思って目を通したが最後、おもしろくってしばらく読みふけってしまいました。

 

それは、語学学習のポータルサイトアルクにあった“翻訳家が選ぶ洋書、この1冊”。

著者は翻訳家の宮脇孝雄氏。

 

選ぶ基準は、(その時点で)翻訳されていない(だったと思う)英語が原文のものを、

原文を訳すポイントや翻訳者ならではの英語の言い回しなどで気づいた点を紹介したもの。

同時にその本全体の味わいも伝えて、読書案内としてもよかったんですよね。

 

私は読み書きが苦手なので(母語である日本語においても)、英語の文献は自分の仕事に直接関係のあるものに目を通したり、ニュースサイト(BBCやイギリスの新聞や通信社のもの)などを読むのでいっぱいいっぱいではありますが、

でも、もっとうまく書きたい、のであれば、自分の中の語彙や表現の引き出しを増やす必要が感じられ、それは読む、ってことが有効なんですよね〜、私の場合。

 

それと翻訳モノの場合、訳者を通しているので、原文に目を通して、うむ、と腕組みをしてしまうことも少なくないのです。

当たり前ながら、すんなり読める文章とつっかえつっかえでなかなか骨の折れる文章とがある。

日本語でもそうですが、文体と自分との相性もあるしね。

 

私はジョージ・オーウェルが好きで、その内容から原書を読むのはなかなか手強いのではないかと思いきや、原文が平易な表現でわかりやすく、読見やすかったのに驚いた記憶があります。

誰でにもわかる言い方で深く表現する、ってのは私の目指すところでもあり、そういう意味でも、うまいなぁ、と思いながら読んだのです。

(むずかしく難解な文章は、賢そうに見せたいがための武装、と思っている)

 

母語である日本語で読むときと違って、原初の場合は、取り扱っているテーマや内容のおもしろさもさることながら、第一関門は、母語でない言語を、そこまでスムーズでない人間が読むときに、その文章を読み通すのは可能かどうか。

 

なので、 “翻訳家が選ぶ洋書、この1冊”で示してあった宮脇氏の原文サンプルはその判断基準になったのです。

 

そして、“翻訳家が選ぶ洋書、この1冊”は、そのテキスト内で概要について触れられていることに加え、かたい小説から、やわらかいもの、エッセイ、短編、時代などもさまざまで、読書案内ガイドとしてもよかったんですよね。

 

 

プリントアウトしてとっておいた“翻訳家が選ぶ洋書、この1冊”、必要そうなものだけ抜き出して保管しておこうと思ったのですが、読んでいたらやっぱりおもしろくって、それは紹介されているモノに興味が向くか向かないではなく、読み物としておもしろくって、結局1枚も捨てずに大事にしまった次第。

 

プリントアウトしたものはボリュームもあるし、本としてまとまっていたらどんなにいいか。

そう思って、サクッと検索したら、本として整理したものが出ていないじゃない!

 

これ、書籍にしたいなぁ。

そう感じた途端に、ぶわ〜っとデザイン構成のイメージもわいてきてしまったよ。

 

うん、書籍にしたいなぁ。

どこかに相談するとしますか。