書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

この冬の、私の課題図書

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早くに読みたかったけれど、仕事そっちのけになるので、やっと今。

冬休みに読むとします。

honz.jp

 

正直、ようやく、という気がしないわけではないのですが、

それは私自身が1995年という黎明期からネットにふれているからってのもあるし、

まあ、検証するためには20〜30年かかるというのもよくわかるのですが、

とにかく、読みたい!

 

私自身は新聞社とはそんなりやりとりはないのですが、

主軸としている出版社を見ても、いろいろ思うところはあるわけです。

私は出版社の人間じゃなく、フリーランスだから、

複数の出版社、新聞社、ネットメディア、広告とか、企業と直に、etc で複眼で見られるから。

 

はっきりいって、21世紀に入ったら出版独特の流通制度は崩壊すると思っていました。

時間の問題にも関わらず、未だ、崩壊していない。

新聞社の販売制度も似たところがあるんじゃないかな。

 

 

でもね、問題の本質はそういう制度じゃない、っていうのが私の持論。

マスメディアで企業に属している人って概して、エリート意識がものすごい、と思う。

我々が社会を切りとって、愚民に教えてやっている感がにじみ出ている、

意識的にしろ無意識にしろ。

 

なんだなんだで、新聞エライ! 本はエライ! マスメディアはエライ!が彼らの前提なんだよなぁ。

マスメディアってなくても、基本的な生活に支障はない、と思うよ。

 

 

某アフロヘアの元新聞記者の方の書くものにことごとく私が共感できないのは、

内容、よりも、そこに浮かび上がる、

「私、エリートですごい人だけど、今、こんな質素な暮らししてるの、庶民のみなさんと一緒なの、降りていってあげてるの、エライでしょ、私」を、心底あざといなぁ〜、いやらしいなぁ〜、と思うから。

それがはっきりわかったのは、自著を買ってくれない、とぼやいたとき

(えっと、モノを買わない/持たない生活をしているんじゃなかったんですっけ?) 

ricorice.hatenablog.com

 

彼らの意識が変わらない限り、フェイドアウトしていくだけなんじゃないかと、私は眺めています。

そんなことをぼんやり思いながら、冬の課題図書を入手した次第。