書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

若い頃、チヤホヤされていたからに違いない!

f:id:ricorice:20190923051509j:plain

 

実際に現地に行ってからの仕事の時間よりも、そこに行くための移動の時間の方が長い、なんてことはよくあります。

乗り合わせているのは、編集者だったり、カメラマンだったり、デザイナーだったり、関係者だったり、いずれにしろ大きな範疇では同業者ですから、同業者ならではの情報交換をしたり、悩み、とまではいかないけれど、分かり合えるような話をする一方で、

他愛のない話ももちろんします。

 

他愛のない話、ってのはなんらかの共通項があって成立するわけで、音楽とか映画とかテレビ番組とか出身地とか、そういう話がきっかけになります。

テレビ番組で顕著かな、と思うのですが、過去を遡れば遡るほど、年齢差って大きんですよね〜。

 

今、私は50代に突入し、そうすると、40代の方とは、2000年代以降のテレビ番組の話は問題ないけれど、小学生の頃となると、これが2〜3歳違うだけで、全然違うんですよね〜。

 

で、懐かしのテレビ番組の話とかしていたら、どうもすっきり噛み合わず「あれっ、いくつでしたっけ?」と訊かれ、「今年、50歳になりましたよ〜」と答えると、「そうか、そうでしたね。道理で。私、45歳だから、5歳違うと、認識が違いますよね〜」と。

「そりゃそうですよ、私が小学校6年生のとき、あなた、小学校1年生でしょ」

「その差は大きいですよね〜」

「そうそう。今、私、50歳ですからね。初老ですよ」

「初老って(笑)」

「いや、ほんと、そうですよ。だからその初老のおばさんたちが集まって女子会とかって言ってるの、心底おぞましい」

「(爆)それは、私からはなんとも」

「周囲が気を遣って言っている分には半分目をつぶるとしても、本人が言うな、って思わないですか?」

「男性である私からは、口が裂けても言えません(笑)。いやぁ、女子って言葉に対しては、もはや不感症になっちゃいましたからね〜」

「そりゃ、そうだ。でも、やっぱり私は気持ち悪いのよ。開き直るわけじゃなくって、おばさんはおばさんでいいんじゃないかって思っているんですよね〜。だって、実際におばさんの範疇の年齢なんだもん」。

 

で、いい大人の女性を捕まえて、女子と呼んで、でもって、その本人たちがきゃっきゃしているのって、いつまで経っても、本当に慣れない。

 

なんでだろうと思ったら、自らを臆面もなく女子と言っている人たちって、かつて“若くてかわいい女の子”ってチヤホヤされたんじゃないか、ってことに行き当たりました。

 

それがある年齢を超えると、チヤホヤされなくなる。

確実に老いている、そしてもはや“若くてかわいい女の子”ではなくなっている。

その現実を受け入れられないのかもなぁ。無意識にそこにしがみつきたいのかもしれない。
だから“若くてかわいい女の子”の代名詞的な“女子”って言葉をつけたがるのかもなぁ。

 

私にとっての、“女子”って言葉は、「おばさんのくせにおばさんと言われるのを異様に嫌がるんだよね。あ〜、面倒くさいな。はいはい、歳とっても、若くてかわいい女の子のくくりに入れてあげますよ、とりあえず言葉だけでもね」みたいなニオイを放っていて、小馬鹿にされてんな〜、って思っちゃうんだけど。

 

 

私?  “若くてかわいい女の子”扱いを受けたことがない。

スペックが低いのと、そういうキャラクターのせいなのでしょう、“若くてかわいい女の子”としてチヤホヤされるのとはほんと、無縁だったなぁ。

チヤホヤってなんだ? どんなもんなんだろう? うれしいもんなのかな〜?って感じ、

 

とにかく、もはや女子でないおばさんに対しての“女子”って言葉は撲滅したいっ!

初老の私は強くそう思うのだ!

(あ〜あ、また敵を増やしちゃった!)