書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こういうの不思議だろうなぁ

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取材旅行で多いかな、初めてお会いする方々と長時間行動を共にし、移動や食事など仕事以外の時間を共有する時間が長い、ってのは。

いろんなタイプの人がいるし、沈黙が怖いってことも、逆に盛り上げなきゃってこともないのだけれど、他愛ない話をしていることが多いかなぁ、私の場合。

 

こういうの、苦手な人と気にならない人がいるだろうな。

 

私も昔は苦手で、自意識ばかりが先行して、こんなこと聞いたら失礼なんじゃないか、とか、こんな話、退屈じゃないか、とか、ってことが頭をグルグルしていたけれど、

あるとき、何をやっても悪く捉える人は悪く捉えるし、それを変えることはできない、自分一人で堂々巡りをすることに心底しんどくなって、ええい、やめる!と決意して、やめてしまった。

最初はうまくできなかったけれど、段々とそういう風になって、人の発言は額面通り、それ以上でもそれ以下でもない、裏をかかない、すっかりそういう人になってしまった。

今でいう、空気を読まない人、忖度しない人にしたのよね、自分を、意識的に。

 

言い方とか必要以上にプライヴァシーに入り込まない、自分を押し付けない、とか、人として失礼がないようにしているけれど、基本、遠慮がないというか言いたいことを言って聞きたいことを聞いていると思う。

おそらく、私は他人に対して、初対面でも敷居が低い(実は核の部分は滅多なことでは見せないし、目に見えないプライヴァシーの線引きをバシッとするんけどね)んだと思う。

なので、比較的和やかな空気になっているかなぁ、と思う。

軽口とか返してもらえれば、よしっ!って思うもん。

 

 

しかし、いきなり何時間も、ときに何日も一緒に過ごすって、目的は全く違うけれど、なんだかブラインドデートみたいだなぁ、っていつも思う。

取材って、こういう変な時間を伴う仕事だよなぁ。