書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

気持ちよく仕事ができるかどうかって言い方も大きい

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今、かかっているいくつかの仕事、新規だったりってのもあって、うんうん唸りながらやっています。

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私は発注する側でもあり、受ける側でもあり、それは仕事の内容によるのですが、

書籍1冊とかプロジェクトとか、どんと裁量を任せられる仕事は出版社だったり代理店だったり発注主はいるけれど、その企画においては制作物そのものもだし、制作スタッフを束ねるダイレクションをするので、発注サイド。

雑誌やウェブ系などの、企画から携わることがあるにせよ、ライターが主な仕事内容の場合は、受ける側。

 

人って、10言って1伝わればよくって、2つ伝われば上等!

どんなに努力をしても思ったように伝わらないのは当然と思い、その上でどうすればお互いにストレスが少なくやりやすく仕事ができるか考えながら発注するようにしているのですが、

逆の立場、発注される立場の場合に、これが前提なのは違うな、と思っていて

(仕事をする上では対等ではあるのですが、どういう姿勢で仕事をするかは人によって違うから)、

それでも意図を汲んで、少なくとも軸はブレないようにしようとは心がけています。

でも、100%バッチリ、ってことは、まず、ない。

 

相談することもあるし、叩きの叩きとして、早めに提出し、それを土台にすり合わせをして、締め切りに間に合わせることもある。

 

ここのところ、うんうん唸りながらやりとりをしている仕事が何本かあるのですが、

やりとりに心救われる、というか、よし、頑張ろう!と思える、というか。

 

こういうのはどうですか?とか、あ〜、説明がうまくできていなくってすみません、とか、ごくフラットなやりとりが繰り返され、

へり下るわけでも、なんでできないんだ!みたいな態度じゃないから、

仕事そのものはうんうん唸りながらも、気持ちとしては平穏さが保たれる。

 

 

これ、なんだろう?

かつては、責めるような態度で、時に金切り声を上げる人の比率が高かったような気がする。

今は、そういう人は減って、かつフラットな姿勢でやりとりができるのは若い人たちで、そうでないのは同世代以上、なんだよなぁ。私の周囲だけかもしれないけれど。

 

個体差、だと思うのだけれど、それでも世代間格差、ってあるのかなぁ。

 

 

とにかく、今、一緒に仕事をしている人たちが淡々としているので、気持ちが変に揺さぶられず、ありがたいなぁ〜、と思うのです。