書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

誰の視点なのか、固定化する

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文章を書く、というのは、どうも軽んじられているなぁ、ってことに出くわすことがしょっちゅうあって、

現場に行かないでも、取材しないでも書ける、って思っている人、多いんですよね。

プロなら、書けるには書けるけれど、内容はというと、どうしても薄っぺらいものになる。

 

自分でも書ける、と思っている人も多い。

 

中には、本当に書ける人もいるし、そういうものが求められている場であれば、そりゃ本人が書いた方が、稚拙でも熱量が伝わるってのは往々にしてあります

(個人ブログでそれは顕著で、プロの書き手が書いたものよりも、書くのは素人でもその対象に熱量が圧倒的にあるものの方が、読んでておもしろい!のはそのため)

 

とはいえ、仕事であったり、広く告知するためだったり、好きなことを好きな人だけでなく、一般のたくさんの人に向けて、となると、やはりプロの力が必要かな、と痛感します。

 

違いはいろいろあるのですが、前提として、要となる立脚点が固定しているかどうか、が大事。

素人が書いた文章は、個人の感想なのか、一般論なのか、資料に拠るものなのか、個人の意見なのか、グループとしての立ち位置なのか、どの視点から綴っているのか、明確でないばかりか混在しているので、読んでいて一貫性がなく辻褄が合わないことが発生しちゃうんですよね。

 

 

ときどき相談を受けるので書いてみました。

まずは視点を固定させることから始めるといいかな、と思います。

技術や文章は書くうちに磨かれるけれど、それよりも軸を持つ、ってのが肝要かと。

骨がしっかりしていないと、肉のつけようがないからね。