書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自分の中で踏ん切りがつくその日まで

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おかたし真っ最中。これが終わらないと引っ越せない!のと、これをいい機会にきちんと自分と対峙して本当に必要なものを見極める時間の真っ只中にいます。

 

目下のところ、資料の要/不要をチェックする日々。

呆れるほとの雑誌の山(本もそこそこあるけれど、そこまでではない)に、うんざりしてきたそのとき、同業の方と話していたら、

3年前に引っ越された方は、遠方への移動だったのでできる限り身軽にすべく、思い切って資料を処分した、と。

当初はチェックをかけていたけれど、時間がかかるし、見ると気持ちが揺らぐから、と。

つい最近事務所を越された方は、移転先が一気にスペースが狭くなったので、やはり思い切って一気に処分した、と。

 

うん、わかる。できることなら私もそうしたい。

いい加減うんざりしていて、思い切ってすべて手放したいもの(はどうしても、なものはレンタルスペースを利用、にはなるだろうけど)

 

じゃあ、やればいいい、のだけれど、私はまだそこまで踏ん切れない、んだな。

以前にマメに整理整頓していた時代(そんな頃があったのだ)、週末、月末、大きな仕事終わり、とか区切りのたびにモノを増やさないための見直しをしていたのだけれど、雑誌は処分してしまって、あとでしまった!ってことが何回かあり、そのことが雑誌を処分しづらくしている。

書籍は入手しやすいけれど、雑誌はなかなかむずかしい、んだよねぇ。

 

でも、じゃあ、それで仕事ができなかかったか、というと、そんなことはなくって、なんとでもなる、ってことも体験済みなんだけれど、内容だけでなく、誌面構成とか、デザインとか、もう一度確認したかったな、大枠もしくは一部が記憶に焼き付いているだけに、よし、じゃあ、こういう方向性で行こう!という自分を納得させて後押しするものが欲しかった、のかもしれない。

その場合、そのプロジェクトが終われば、そこでお役御免、で気持ちよく処分できたかもしれなくって、同じ処分でも、まあいいか、で手放す場合と、これまでありがと、で処分するのとでは、自分の中で違うってことなんだよね。

 

気持ちよくお別れできる心境になるまで、後悔がつきまといそうで、一気に処分とかいかなそうだな。

時間がかかっても、自分が納得できるまで、とことん自分と向き合うしかないですねぇ。