書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

ギャグマンガは最高のグルーヴ感を与えてくれた

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私は1969年2月生まれです。

ベルサイユのばら」、萩尾望都竹宮恵子の主にヨーロッパを舞台とした大河ストーリー、そして絵柄が苦手で、読まずにきたんのは、世代的に少し遅れたから、と思っていました。

 

でも、それは違うのかも、と最近思い始めまして。

 

竹宮惠子の『少年の名はジルベール』は、ううう〜ん、って思うところが随所にあるし(編集者が書き手の才能を潰す、ような書き方はまったくもって違う!と思う)、こんなこと知れてうれしい、ってのも特段ないのだけれど、

それらを補って余りある、萩尾望都への嫉妬と羨望を吐露した箇所、それだけで読む価値あり。

山ちゃん@南海キャンディーズの「しくじり先生」に匹敵する、すばらしさ!

黒い闇の部分は誰にでもある。

それを、しかも深淵の部分が表現されたことは感嘆しかないのです。

こうやってアウトプットできるまでの歳月を思うと、そしてそれは大なり小なり一生つきまとうことであることを思うと、業の深さを感じつつも。

 

 

で、『少年の名はジルベール』を読み返したら、24年組が気になり、そしてあれやこれや見たり読んだりして気づいたのは、

あっ、私の感じ方の原点は小学校1〜2年で確立されたんだな、ってこと。

それが上記の少女漫画が読めなかったことにつながるのではないか、と。

 

 

小学校1〜2年(厳密には小学校3年の前半まで)で何があったか、というと、

このときの私は人生の中で最高に幸せだった時代のいち時期で、住んでいるところ(引っ越しがそこそこあったので)や周囲の人たち(同じ場所でも保育園時代はイマイチだった)をはじめ、周囲とのすべてと相性がよかった。

小学校に入って間もなく、近所の習字教室に行くようになったら、この習字教室が天国でして(笑)。

 

どう天国か、というと、この教室は先生の家の自宅の庭に面した大きな2部屋を教室として開放していて、この部屋には縁側があり、突きあたりにトイレがあって、このトイレのスペースが広くて、お手洗いの洗面台がオープンスペースとしてあって、2畳ぐらいだったかな。

ここにマンガ雑誌が30冊ぐらい積み重ねてあって、活字中毒だった私は、小学校と市立図書館で本を借りまくり、自分家でも人の家でもそこにあるものを手当たり次第読み、その同線上にマンガがあったのです。

 

私はこの時まだ、自分でマンガを買ったりしていなくって、家にマンガがある環境でもなかったのだけれど、この習字教室にはたっぷりの漫画があって、なんせ読み放題!

誰が買っていたのか、教室の先生ではなくって、多分、通っていた子供達がおいていっていたんだと思う。当時は、マンガはNGって家庭がまだあったもんな〜。

 

ありがたいことに教室の先生はとても寛容なおばあちゃん先生で、私は月に一度の課題提出の前以外は、それこそマンガを読んだり、墨汁で絵を描いたり(怒られるどころか、褒めてくれて大事にとってくれた絵もあったんだよねぇ)、おやつを食べながらおしゃべりしたり(おばあちゃん先生はときどき大きなやかんにお茶を作ってくれていた)。

今風にいうと、完全に私にとってのサードプレイスだったのです。

 

で、この教室、火曜とも木曜の夕方、土曜の午後にあって、基本週に一度通うことになっていたのだけれど、いつでも好きなときに来ていい、ということで、土曜の午後にも行きつつ(この時間に来る子どもが多いからワイワイできた)、人の少ない木曜の夕方にも行っていました。

なぜ、人の少ない木曜の夕方かというと、心おきなくマンガを読めるから。

 

縁側にあった、籐でできたロングチェアに寝そべり、傍にマンガを積み上げて、読みふけっていたのです。

クラスメイトの1歳上のお姉ちゃんも頻繁にこの時間を狙ってきていて、2人でロングチェアを使う順番を交替しながら、それぞれ黙々とマンガを読んでいたという。

ときどき、お菓子を食べながら少し話をするものの、このマンガおもしろいね!と言い合ったりはしない。

2人ともおとなしいわけではないけれど、マンガに没頭という暗黙の了解のような時間でした。

 

 

このとき圧倒的に好きだったのが「週刊少年チャンピオン」。

1975〜77年で、今にして思えば「週刊少年チャンピオン」の黄金時代に合致するんですよね〜。

がきデカ」「マカロニほうれん荘」が大好きで、あとは「ゆうひが丘の総理大臣」「ブラック・ジャック」とか。「750ライダー」もあったなぁ〜。

週刊少年サンデー」の「まことちゃん」も大好きだった。「がんばれ元気」はよくわからなかったけれど、記憶にあるなぁ。

週刊少年ジャンプ」も「東大一直線」とか「すすめ!!パイレーツ」とかあって読んだなぁ〜。「ドーベルマン刑事」も印象に残っている。

 

で、最近あれやこれや見たり読んだりしていたら、小学生に「がきデカ」「マカロニほうれん荘」が本当にわかったのか、という発言があって、当時小学校1〜2年だった私の感覚からいうと、マンガの内容を理解しできたかどうかは重要じゃなかったんですよね〜。

現に「がきデカ」に散見された性的表現はまったく理解できていなかったし。

 

じゃあ、何にそう惹きつけられたのか、っていうと、破茶滅茶でガンガン突き進んでいる疾走感がたまらなかったんだと思う。

意味なんて求めていなかった。

ページどころかコマごとに急展開していく様がほんと、気持ちよかった。

 

これが私が人生で最初に体験したグルーヴ感、だと思う。

週刊少年チャンピオン」は連載といえど読み切りスタイルをとっていて、私は単行本でなく雑誌で読んでいたので(当時の小学生は雑誌を買って、周囲と回し読むのが主流、だった、と思う。単行本を買うこともあったけれど、日常的じゃなかった)、短い時間でバシッと完結するスタイルも、短時間でガツンと気持ちが高揚するのに合っていた。

 

 

となるとですね、長い話とかストーリーとかは、当時の私はたるくて読めないわけですよ

(これにはもうひとつ個人的な理由があって、物語は物語として文章、つまり本でさんざん読んでいたから、それをマンガに求めていなかったんだとも思う)。

少女マンガの瞳キラキラ、お花背景、は、なんだ、これ!だったし。

 

小学校3年のときだったと思うけれど、「コロコロコミック」が創刊され、そこでクラスの男の子が「ドラえもん」がおもしろいよ!って貸してくれたのだけれど、「ドラえもん」もダメだったなぁ

のび太の他力本願と意思表示のできなさ加減にうんざりした。ドラえもんは必要以上にのび太を助けるなよ〜、だから彼はいつまで経ってもひとりで何もできないんだよ〜、共依存か?って感じたんだよなぁ。

ついでに言うと、ドラ焼きが好き、って設定にもなんじゃそれ、年寄りか、と思ったし(当時の私はどら焼き(幼少期の私は和洋折衷スタイル含めて和菓子の類がまったくダメだったからかもしれない。。。)を昔の食べ物を思っていて食べたことがなかったからだ、と思う))

 

 

同時期に、NHKで夕方にジョブナイル小説のドラマがあって(それこそ習字教室から帰って観ていた)、衝撃的というかトラウマになるほど怖くて、かつ目が覚めるほどおもしろかったのが、小学校1年の秋から年末にかけて放送された「なぞの転校生」。

これでSF的なおもしろさに目覚めたのかもしれない。

 

 

そう振り返ると、私の感覚が確立されたのは小学校1〜2年で、マンガを心おきなく読めるサードプレイスとしての習字教室の存在は大きかったんだろうなぁ。

 

 

で、繰り返すけれど、ギャグマンガが大好きだった小学校低学年の私は、内容なんて求めていなかったのです。

これが小学校中〜高学年であれば、また違ったのかもしれないけれど。

社会の通念も、マンガの文法も、既成概念をぶち壊す(ように見えた)、あの疾走感にやられてしまった!のです。

数年前に夢中になった「ペンギンの問題」もそのおもしろさは、前後の脈略のないところでもたらされる疾走感が自分の中で再現されたからかもしれないなぁ。