書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

外国語が流暢、はそんなに大事?

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どうにももやもやしてしまうんですよね〜。

 

外国人が来てその国の言葉で話す、とか、

外国でその言葉で話す、とか、

そんなに大事なことなのかなぁ。

 

むしろ、“何”を話すかが大事なんじゃないのかなぁ。

言葉が不得手だったり、専門的で手に負えなかったり、であればいなら通訳を介せばいいわけで。

 

通訳を通すとなると、もちろん、通訳の分野と力量に負うところが出て来ちゃうし、

自分の言葉で話す、にこしたことはないのかもしれないけれど。

 

同様に外国人が日本語でカタコトの挨拶をするだけで

“日本びいき”っていうのも、どうしたもんか、って思ってしまいます。

 

 

肝心の話の内容ではなく、“外国語が流暢”に焦点を当てるのって???だなぁ。

 

日常会話をしゃべることと、自分の考えや意思を外国語で伝えること、って別物だよなぁ。

後者をやるとなると、文法とかの基礎力が大事だと思うんだよね〜

(もっとも今後は翻訳機能がもっと素晴らしくなっているでしょうが)。

 

ニュースになるような事項も後者なので、その話の内容さえ伝えてくれればそれでいいのだけれどなぁ。

 

 

“言語という道具を扱うこと”が大きく取り沙汰される、ってなんだろう。

言語コンプレックスの裏返しなんだろうけど、あまりに強過ぎない?