書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

ビリー・アイリッシュはひとつの現象であり象徴である

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最近のヘビーローテーションは、ビリー・アイリッシュとテーム・インパラ(シングル「Patience」は私の2019年シングル・オブ・ザ・イヤー確定だなっ!)。

youtu.be

 

テーム・インパラは、その才能は既に知られるところですが、問題(?)はビリー・アイリッシュ

SNSから火がつき、3月下旬にはファーストアルバムが出て、コーチェラなど大きなフェスにも出演し、俄然盛り上がっています。

イギリスの音楽メディアNMEがここ1年ぐらいかな、大プッシュしていて、それで私も知ったわけですが、FBに記事がシェアされると、コメント欄が概ね否定的なのもおもしろい。

もっとも、この17歳のアーティストのメイン層はFBは利用していないだろうから、この温度差も含めて興味深い。

 

音はとらえどころがなくって、隙があるのか狙ってなのか、脱力した感じがいい。

ヴォーカルも熱唱系じゃないあたりがいいんだよね。

 

同時に、ルックスがいいんだなぁ。

ほとんど笑わないし、着ているのもハイエンドブランドのフェイクのようなインディもので、ダサいといえばダサい。

髪の毛もボサボサ、染めている色もパッとしないし。

少なくとも、標準装置とされる、きれいとかかわいいとかとはかけ離れている。

 

 

インスタグラムの台頭、スマホのカメラ機能やアプリの高性能化、“きれいな写真を撮りましょう”をテーマにした書籍や企画に、ここ数年の私は食傷気味。

もう、いいよ。お腹いっぱい!

素人までそんなことしなくて、いやいや、素人はよりその傾向が強いのか。

 

このことは、4年前に自著『イギリス菓子図鑑』を出すときに、突きつけられて考えるようになったこと。

どういうことか、っていうと、結局食べたことがないと、いくらレシピを渡しても、プロだからって作れないだろう、と思ったのです(日本の洋菓子界でイギリス菓子を知っている、しかも100種類以上がどれだけいるのか。。。)。

加えて、イギリス菓子の場合は、王室や宮廷がらみではなく、家庭菓子がほとんど。

 

だとしたら、稚拙でも自分が作るのがいいよね。

それぞれがどんな菓子なのかを理解していて、かつ作れるのは自分だし。

家庭菓子であれば、多少形が歪んでいたり、焼き加減がイマイチだったり、の方がむしろ“らしい”。

 

なので、撮り方も、一般的な“スタイリッシュ”“しゃれた”もしくは“ていねいな暮らし”っぽいのは全然違うベクトルを目指した次第。

少しダークというかくすんだ感じも含めて、同時にそれがイギリスという国(ヨーロッパ各国そうだけれど)の歴史の中で変なことも経験してきたことにつながるといいなぁ、と考えたのです。

 

結果、出版社内でも、本が出てからも、賛否両論がありました。

構成含め、既存のものと意識的に変えたから、まあ、そんなもんでしょ。

 

 

このときはコンセプトに合わせた結果としてそうしたのですが、当たり前のようについて回る“きれい”“センスある”をいかに脱却するのか、ってのが課題でした。

この『イギリス菓子図鑑』発刊から4年、インスタ映えgrammableなんてのが日常の言葉となり、見た目の美しさをいかに磨くか、をますます追求する傾向にあります。

 

そこにあるのは、理想とする、こうでありたい自分。

つまり、リアルとはほど遠い姿。

 

ビリー・アイリッシュはその傾向にNO!を突きつけたようで痛快!

でも、NO!という明確な意思表示ではなく、毎日そんないいことばかりじゃない、ふてくされることもたくさんあるよ、って呟いているみたいな感覚が、自然なんだよなぁ。

 

例えば2001年の『ゴーストワールド』なんかはもっとゆがんでいるのに、

ハンナ・モンタナを演じたマイリー・サイラスがぶっ飛んでしまったように、

そこには、アメリカの明るく溌剌とした健康的な若者が、あるべき姿、なのに対して、はみ出してしまう、そればっかじゃない!と声を上げたわけだけれど、

ビリー・アイリッシュには、何かに反発している、って感じじゃないんだよね〜。

 

だから、格好も楽曲も、こうじゃなきゃ、を突き抜けていて、しかもそれが拳を振り上げて、じゃなくって、体温が低い感じで、自分の部屋でだらっとしながら、「今の私はこんな気分」ってつぶやいているようで、「インスタで繰り広げられているキラキラした素敵な暮らししてるわけじゃないから」が発信(表現というよりも発信、って感じ)しているのが、そうそうそう〜!なのよね。

 

 

1990年代に、それこそ渋谷に頻繁に出没していた私は、ギャルたちもたくさんみたけれど、ヤマンバとかはほんと、すごいなぁ、って感心しちゃったもんなぁ。

それまで女の子が目指していた“かわいい”“きれい”の概念をぶち壊したところが。

 

同時にこの頃、英米で見られたビキニ・キル/Bikini Killやライオット・ガール/Riot Grrrlが登場し、ガールパワー/Girl Power(いわゆる“女子力”とはまったく違うよ!)炸裂。

それがスパイス・ガールズの活躍とか、現在のプッシー・ライオット/Pussy Riotにもつながっているんだけれど、「女(の子)は独立した存在で、たくましいのよ」というメッセージ性。

 

 

そこまでの明らかな既存の価値観への否定を、ゴス+ナチュラルみたいな風貌をしたビリー・アイリッシュからは感じられないけれど、この声高な否定も主張もしない感じが、だからこそ“今どき”で、時代は変わることを映し出しているなぁ、としみじみしてしまうのです。

本人にそんな意識はないのかもしれないけれど、ステレオタイプってものを知っている世代の私には、「一体いつまで“きれい”“かわいい”を価値基準にしているの?」「あたなはこれからどうするの?」って問われている気分にすらなります。