書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いつまで若者いじり(いじめ?)をするつもり?

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入社式、入学式、があり、街を歩けば、当事者たちの初々しい姿に出会います。

ぎこちなさがかわいらしくもあり、微笑ましくもあり、愛おしくもあり。

 

一方で、入社式や入学式のニュースを伝えるにあたり、“黒一色”のスーツ姿を映し出し、没個性を見せる、そしてわざわざ、そういう画一化された写真を掲載する、ってのを見て、

あ〜あ、またかよ、

な気分に陥ってしまいます。

 

“今どきの若者は”を匂わせて、その背景に“自分たちの頃はよかった”を漂わせる、あの感じ。

この時代、さすがにはっきりと“今どきの若者は”を発言するのは憚っているのかもしれないけれど、根底に流れるものは同じ。

こうすることでしか肯定感や優越感を味わえないのかな?

 

というか、そもそも、こういう若者を作り出したのは誰なのか、って話。

髪の毛を緑に染めて、真っ赤なスーツで臨む人間を、果たして企業や学校は「君、おもしろいね!」って採用/合格にするのか、って話。

一体誰が無難な着地点としての服装の指導をするのは、って話。

 

それと、かつては今のように、洋服の量販店はほとんどなかったよね。

スーツが手頃な値段でさらっと買える時代じゃなかった。今はレンタルもあるだろうし。

今の子たちは賢くって堅実だから、黒いスーツがあれば、冠婚葬祭も着られる、ってことも考えているのかもしれない。

そもそも、時代は変われば目に映ることも価値観も変わるんだよ!

 

 

“今の若者は没個性”って、そういう単純な話じゃないと思うんだけどな。

上澄みの事象だけすくって“ほらみてごらん!”をするのは“してやったり”で気持ちいいのかもしれないけれど、考察とか検証をしないのであれば、無意味だよ。

もっともそれをすれば、言い出した本人にブーメランとして戻ってくるんだけどね。