書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

その一言は、そんなにハードルが高いのか

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“日本人はやさしい”という(根拠のみえない)論調をみるにつけ、

「いやぁ〜、世界でいちばん冷たいんじゃないの」といぶかしんでしまう私です。

 

厳密に言えば、知っている人、特に自分より上、と思うと、卑屈なまでにへこへこ親切にする。

だけれども、自分の知らない人、自分より下と思う人には、無関心というか、冷たい、というか。

 

バスや電車で席を譲らない、とか、ベビーカーで乗り込んできて舌打ちをする、とか、飛行機を降りるときに我先、自分の荷物だけをとってさっさと行く、とか、そうですよね。

 

www.businessinsider.jp

(これ(↑)はレディファーストを持ち出したことで、本来言いたいことが伝わりづらくなっているんじゃないか、って思うけれど、要はこういうことです)

 

気がきかないのと、他人に無関心なのと。

 

 

ただ、同時に、手伝って欲しいときは一言声をかければいいのになぁ、とも思うこともあるのです。

 

先日、エレベーターに乗っていたとき、そのとき、けっこう混んでいたのですが、

背後からにょきっと手を伸ばして、自分のおりたいフロアを押したり、大きな荷物を持った人たちが「おります」とも言わず、動きから察しろよ、みたいな空気感満載で後にしたり。

 

背後から何かされるのは、気持ち悪い。

視線が向かっていなければ、気づかないこともある。

 

「○階、お願いします」

「おります」

と一言声をかければいいだけのことじゃないの?って思うんだけどな。

 

こうして欲しい、って他者に勝手に期待して、やってくれない、って憤るのはお門違いじゃないのかな。

意思表示をしていないわけだからね。

 

 

ただ、この一言がハードルが高い、らしいですね。。。

お店やレストランで、ありがとう、も何も言わない人がいるのと根本は一緒、か?

 

 

 

私の場合、イギリスが多いけれど、他の国に出かけていくと、

レジで待っているとき(もっとも最近は無人レジも多いけれど)やカフェで1人でぼーっとしているときとか、よく話しかけられ、こちらも対応するから話が弾むことも少なくないし、重い荷物を持って移動しているときは、たいがい手を差し伸べてくれる人がいる(男性が多いけれど、女性も少なくない)。

電車の中で、これどうするんだろうね、あーでもないこーでもない、と友人と喋っていたら、隣の人が知恵を貸してくれたこともある。

 

混んでいるカフェなどでは、先に席をとりたいとき、トイレでちょっと席を離れるときなどに、見ておいてもらえますか、と頼まれることもある。

そういうのは察することができない。声をかけてもらって初めて状況を理解し、「もちろん、いいですよ」と返事することもしばしば。

 

 

空気を読む、とか、察する、とか、いうことよりも、

意思や考えを言語化し発することがより重要なんじゃないかな。

 

本人にとっては大変なことも他者にとって些細なことであれば、喜んで手を差し伸べる人は多い、と思うのよね。

でも、言わないと何を求められているのか何をしていいのか、わからない。

同じバックグラウンドの人たちの中にいても言わなくてもわかるのはむずかしいのに、ましてや多様な人たちの中にいると。

 

言わなきゃ、わかんないよ。

言っても使わらないかもしれないけれど、言わなきゃもっと伝わらないよ。

 

 

ダイバーシティとかグローバルとかいうのは、違い他者とともに生きる、ってことだから、言語化するのが、意思疎通のいちばん近道なんじゃないのかなぁ。

 

 

人に迷惑かけたくないから、人に声をかけない、って言う人もいそうだけれど、

生きているだけで、迷惑をかけられ迷惑をかけているわけだからなぁ。

そんなもん、ぐらいでいいんじゃないのかなぁ。