書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

ずっとずっと不安だった。不安だった、のだけれども

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この仕事がひと段落したらやろう、来月に入ったらやろう、と思ってはいたけれど、ずるずるとのばして、ようやく、本当にようやく、今年に入って“おかたし”実践中の日々。

 

“おかたし”の実践に入る前に、なぜ取りかかれないのか、なぜこんなに散乱としているのか(以前はこうではなかったので、余計に)、考え始めたらすっかり落ち込んで、それでも対峙しないと根本的な解決にならないと、悶々とするベッドの中でなぜなぜ、を自問自答し、ようやくわかったのです。

 

不安だったんだな。

不安で、不安で、不安で仕方なかったんだな。

 

なにが、っていうと自分の生活が、これからが。

 

端を発したのは、8年前の東日本大震災

いえ、3月11日は私はたいしたことなかったのです。外にいて、ぐにゃっとした感覚はあったものの、それが地震とすぐにわから叶ったほどでしたから。歩いて帰宅にはなったのだけれど、2〜3時間程度のものだったし。

ricorice.hatenablog.com

 

全身の血の気が引き、ヘナヘナと崩れ落ちるように力が抜け、身体中の感覚がわからなくなり、魂が抜け出てしまったかのような感覚に襲われたのは、翌日の3月12日。

福島第一原子力発電所事故の映像を見たとき。

 

これは現実に、本当に起こっているのか、まるでリアル『渚にて』ではないか。誰かの描いたディストピアの世界の中に自分がいるのか。夢や映画ならまだよかったのに。

夢なら覚めてほしい。どんなにそう思ったか。何度そう思ったか。

 

生まれて初めて、目に見えないものにじわじわと蝕まれ、やがて緩やかに確実に死を迎える、そんな宣告を受けた気分でもあったのです。

 

翌日の3月13日、日中、八王子に行く予定があり(キャンセルにならなかった)、晴れた気持ちのいい春の日で、中央線に乗っている人たちは、これから登山に行くのか、山登りの格好に楽しそうなおしゃべり。

テレビの映像の中のことは果たして、ちょっと離れた場所で本当に起こったことなのか。

 

津波地震直後から海外の友人たちが逐一送ってくれる情報ソースを読むにつけ、あまりの深刻さに、その深刻さゆえにますます現実なのかどうかわからなくなる。

日本の報道が、ぼんやりとした気休めで、具体的なデータを示さなかったことが事態の深刻さを如実に物語っています。

 

やっぱり夢だったと言ってほしい、嘘であってほしい。

でもどんなにそう願っても現実に起こったことで、しかもまだまだ予断を許さない状況。

であれば、どんなに辛くても目を背けたくても、現実を知らないと、という気持ちとのせめぎ合い。

 

これは、本当に実際に起こったことなのか。

 

間一髪、その日の最終の新幹線に間に合い(八王子からの帰宅がもう15分遅かったら間に合っていなかった。次の日、月曜日からプロパガンダにしろ、地下鉄や鉄道がまともに動かなくなるのは明白だったので)、東京を離れる。
4月の頭にいったん戻った東京はまったく覇気がなく、気が滅入ってしまいそうになり、ここは今、私のいる場所じゃなくなったな、と引越しを決意。

その後、2011年の7月6日に東京を離れて、今にいたったものの。。。

 

これまでの引越しと違って、そうしないと自分が(精神的に)まともな生活が送れない、生きていけない、からそうしたのだけれど、

フリーランスでしょ、距離が離れることはこれまでの仕事を失うことも意味するのです。

 

仕事に関しては、それまでいろいろあったにせよ、穏やかにスムーズに進んでいて、それをある日突然、打ち壊されたのが許せなかったんだな。余りに理不尽で、ずっと腹を立てていたんだな。

知らない土地で先の見えない状況で、仕事はすべて失う覚悟だったけれど、やっぱり不安で不安で不安で仕方なかったし、そこから目を背けようとしていたんだな。

 

誰が何と言おうと、私は東京が大好きなのに、そこを離れてしまった。海外はいつでも飛んで行きたいのだれど、国内のほかの土地に住む、ということは、ぼんやりと理性で頭をかすめることはあったけれど、実際に離れるとは思わなかった。本当は東京を離れたくないのに離れてしまった。

後悔はないのだけれど、東京を離れたのが積極的な理由でなかったのが、自分のなかで納得できていなかったのだろう。

そして、その状態のまま、今日まで来てしまったんだな。

 

 

当時はわからなかったけれど、震災後に結婚した人が増えた、というのも、今、やっと理解できる。

何か安心できる場所、不安を共有できるところを、誰しも切望していたのでしょう。

それが、ある人には結婚という形になり、私の場合は、混沌という状態に現れてしまったんだな。

とりあえず目先のことしか、考えたくない、何もしたくない。

ずっとずっとずっと、心がざわざわしたままこれまで来たんだ、と、“おかたし”を始める前に自分と対峙し、やっと気づきました。

 

すっぽりと覆った大きな大きな不安と虚無感は、強い意志がないと剥ぎ取れない。

それができるのは、中にいる自分でしかない。

そのこともようやく理解したのです。

 

 

しばらく記憶から抜け落ちていたのだけれど、震災の日、午前中は大学病院の定期的なチェックアップで、近くでお昼を食べ、おやつをもぐもぐしながら、駅に向かったのよね。

その数時間後に何が起こるのか、まったく予想もしてなくって。

ちょっと肌寒いけれど穏やかな春の日で、ボーダーのトップスにジーンズ、赤いスニーカーを履いて、ブルゾンをはおって出かけたんだったな。

 

この病院には3カ月に一度の割合で通っているのだけれど、先日、初めて、チェックアップ後、震災の日の午前中と同じルートを辿りました。

同じお店でお昼を食べ、同じお店でおやつを買って。

 

8年ぶりかぁ。お店の人たちと少し話して、前もこうだったな、と思い出す。

 

これが私にとっての禊。

過去と折り合いをきちんとつけて、自分の気持ちも“おかたし”です。

 

 

I can wake me up. I can cure me.

Make my own dream.