書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

終わりのシグナルと心構え、なのかもしれない

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それまで40日周期で、でも判で押したように決まって、というわけではなく、もっと周期が長くなることもあった生理が、ここ1年ぐらいか、だいたい28日周期になり、月経とはよく言ったもんだな、と妙なところで感心していましたが、この冬ぐらいからはもう少し短くなって、25日周期とかになっています。

 

なんてことを友人に話したら、「もうすぐ閉経なんじゃない」と。

 

へえ〜、そうなのかぁ〜。そういうシグナルってあるのね。

 

無知、といえばそれまでだけれど、初めて生理になったときに、あんな血の塊が出るなんて知らなくって、しかも自覚なしに流れ出るって知らなくって(尿のように、あっ、トイレ!ってなるって思っていた)、驚いたものです。

生理の時に貧血で倒れる同級生がいるのももっともだなぁ、と納得したのは35年前、か。

 

20代に入り、何となく周期みたいなものができてきて、安定したように感じ、自分の体を自分でコントロールしたいから、とピルの恩恵に預かったり(避妊もあるけれど、私はタンポンが苦手なので、知らない土地での長期出張とかに生理がぶつかると、多い日は2時間に一度トイレに駆け込むことも考えるのは負担で仕方なかった。なので初めてピルを使ったとき、自分で生理をコントルールできるその素晴らしさに感謝!感動!だった)、そのあとは、閉経までそのままの状態でいくもんだと疑っていなかったけれど(このあたりが無知、なんだけど)、そうじゃなかった。

 

終わりに向かって、変化している。

 

 

子供はいないし、ペットもいないし、組織にも属していないと、自分だけでは年齢を実感しづらい。

子供が働き始める、ペットの動きが緩慢になる、といったことを目の当たりにすると、それは自分を映す鏡でもあって、しみじみして、私も年をとったなぁ、と実感するんだろうけど、そういうのが著しく欠如している生活。

なんとなく今までの流れにそのままきているのですが、そんな中、生理の変化は実年齢を実感させる唯一のものかもしれません。

明らかな老眼とか白髪とかも自分の体に起こったら、もっと感じるのでしょうが。

 

それは、加齢がどうの、ではなく、終わりに近づいているんだな、とぼんやり思うわけです。

今、やっと“おかたし”に自覚的になったのは、自分の始末をする時期に入ったからなのかもしれません。

リセットではないけれど、身の回りをきちんと整理して、来るべき死に向かおう、みたいな、ね。

 

 

私は11年前に、突然死が襲い、寸前で一命をとりとめました(↓)。

ricorice.exblog.jp

 

だからといって死生観が変わった、みたいなことはないのですが、人ってあっけなく死ぬんだな、と実感したのは事実。

あまりにも突然だったからか、そこには諦念も後悔もなく、ただあるがまま(そのときは、死)を受け入れる、でした。

なので、それ以降はもしかしたら、死というのものを、無自覚ではあっても、意識するようになっているのかもしれません。

 

そうやって考えると、自分の終わりのシグナルのひとつが閉経であり、それに向かっていく心構えのようなものが“おかたし”なのかもしれません、私の場合。