書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

なぜなのか、理由を突き詰めないと次に進めない

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書籍や雑誌を作ったり、ウェブに関わったり、していると、

自分が指揮を執るときは「なぜ、これをするのか。そのためにこういうやり方をとりたい」と伝えるようにしていますし、

受ける立場の場合は、意図を汲み取るようにしています。

 

なぜ、これをするのか、理由がないと、どう動いていいのかわからないからね。

 

 

“おかたし”を粛々と進めていて、

少しずつ大きなものを手放せるようになりました。

 

たとえば、こんなの。

・靴 2足

・マフラー 1本

・本20冊

・雑誌+小冊子 20冊

 

そこで気づいたこと。

ただ捨てるだけではなく、なぜゴミになったのか、その理由を考えて、

自分の頭と体に刻まないと、

ただ捨てるだけでは、作業に過ぎないから、

きっとリバウンドしちゃうな、と思ったのです。

 

靴やマフラーは明らかに経年によるくたびれ(今までありがとう! お疲れさま!)

本や雑誌は、とりあえず現時点で私が保留にしているのは、資料性が高いものと思いが詰まったもの。

 

では、本や雑誌では何を捨てたか、というと、

・ちょっとした隙間時間用に読んだ本や雑誌(再読はしない)

・トラベルガイドやタウンガイドなど、情報が古くなったもの

(資料性を帯びるものもあるけれど、明らかに情報が消耗されたもの)

 

前者は、いわばひと時の娯楽用。今後は読んだ端から処分を心がけるか、Kindleに移行するかにします。

後者は、明らかに情報を得た時点で要らなくなる。

実際に香港のトラベルガイドを捨てたのですが、何年かに一度の割合でしか行かない場合は、そのたびごとに情報を刷新しないと意味がない。

そもそも手に取った時点で過去の情報であって、最新じゃないわけだし。

地図や地下鉄の路線図なんかも、マニア心をくすぐりますが、やっぱり変わっていくものなので(上海の地下鉄の増え方がいい例)、さようなら、です。

 

ということは、まだまだ続く“おかたし”の中で

これらのものは躊躇なく捨てていい基準にもなるのです。

 

 

理由づけを仕事には求めていたけれど、

自分自身の行動に対してはぼんやりしていたんだなぁ、と改めて。

理由のないところには、意思は築けないし貫けないからなぁ。