書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

心の棚卸しをする時期にあるんだろうな

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仕事場をぼちぼち整理整頓していて、

そろそろ大ナタをふるいたいな〜、と思っていた矢先、

本の山から出てきたのは、Netflixでも話題の近藤麻理恵さんの著書『人生がときめく片づけの魔法』。

 

3〜4年前に、よっしゃ、やるぞ!と一発奮起し、

気合い注入のために買ってきたのでした。

 

 

あ〜、そうだったな。あのときの気持ちをもう一度、

そして、やる気になっている今に拍車をかけるためにもう一度読むか、とページをめくる。

 

数ページ読んで、ハッとしました。

これ、以前にはぼんやりとしかつかめなかったことがはっきり目の前に示された気がしました。

 

 

目の前のケオスは、自分の精神状態を映し出しているんだな。

 

あらかさまに落ち込んでる、とか、すさんでいる、とか、

そういう自覚できる精神状態ではなくって(それもあるでしょうが)、

自分でも気づかない根元の部分で。

 

具体的に、こうしましょう、ああしましょう、をやりつつ、

その先にあるのは、心の棚卸しなんだろうなぁ。

 

要/不要の判断、必要な場合はどのくらいの量が、かは人によって違う。

でも、まずは、の目安がないととりかかれない。

技術的なことは本の内容を参考に。

 

でもその先にあるのは、自分の心のあり方、

どうすればより気持ちよく日々を過ごせるか、本当にやりたいことは何なのか、

目の前に混沌とした状況があると、

自分の心の状況も見えにくくするってことなんだろうな。

 

 

ええと、書籍なり、ある程度の大きなプロジェクト真っ只中にあると、

もうね、資料やら紙やら、散らからざるを得ない。

実際、手探りでああでもないこうでもない、と手探りで混沌の中を進んでいるわけだから。

 

問題は終わったときだな。

ここで、混沌状態をほったらかしにしているから、今のケオスにいたっています、私の場合。

(なぜか、っていうと、無事発刊後も、書類仕事とかがあったりするので、つい放置している、という。。。)

 

でも、それは言い訳。

結局のところ、実はいろんな不安がケオスとなって現れているんだな。

そして、それを解決するのは自分でしかないんだな。