書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

結局自分に戻ってくるのは体験済み、のはずなのに

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今から10年前の2008年は私にとって、重要な意味を持つ年です(おそらく。。。)。

というのも、突如として生死をさまよったからなんですよね。

よく死ななかったな、というのが率直な感想

(人って簡単に死ぬんだな、って思ったし)。

 

だから死生観が変わったとか、生かされているとか、

生かされている、としたらどんな意味があるんだろう、ぐらいはぼんやり頭をかすめるけれど、

意識が強く変化したわけではなく、

ただ、死に際して、部屋はきれいに片付いていたけれど(当時は。。。)、

パソコンの中が整理しきれていないので、心配になったんですよね

(実際にはそのときはそのときで、なんとでもなるんだろうけど。

 本人としては、悔やまれる)。

 

時が移り、部屋がこんなにもわさわさしてしまったなんて、愕然。

イギリスから帰国し、しばらく実家に身を寄せ、再び東京に出たときって、

本当に少ない荷物だったんだよなぁ。

お金もなかったし、気に入った机が見つかるまでしばらく、文字どおりミカン箱を机にして、

その上にMacのラップトップをおいて仕事をしていたから、

訪ねてきた人に

「すがすがしいほどものがないのに、Macがあるあたり、今どきだねぇ」と妙に感心されたりして。

 

あの頃に比べると、なんとまあ、モノが増えてしまったことか!

今、それらの過去の自分がぼんやりと思い出され、

同時に、20年近く前、10年近く暮らした家を引き払うときに、

知らず知らずに溜め込んだモノの処分が大変だったことが思い出され、

あの思いはもうしたくない! いつ死んでもいいようにしたいと!

な気持ちになっていて、重い腰が少し上がった次第。

 

今の状態を突き進もうという目論見で、こうやって書いているのです。