書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

やめるタイミングってむずかしい!ってことかな

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きかれて答えると驚かれることがあって、内心そこまで驚くか!と感じているものに

・おせちを食べる/作る → しない(生まれ育った家庭がそうだった。おせちって過去の遺物だとずっと思っていた)

・お雑煮好きじゃない → とりあえず、で、とりあえず、なものを食べるけれど(お餅が得意でないのです)

・紅白観ない(もう30年ぐらい)

・晴れ着を着たことない

・東京のお正月が好き。何をするわけでない穏やかな冬の日って感じが(道路がびっくりするほどすいている。東京は太平洋に面しているので、冬は晴れの日が多いのだ!)

・年賀状を出すのをやめた

といったことがあります。

 

こういう回答をすると拍子抜けするようで、その後そこからこの手の話が盛り上がる、ってことはないのだけれど、

続けてきかれて、あっ、なるほど、と思ったことがありました。

 

年賀状いつやめたのか、きっかけはあったのか、どのタイミングでやめたのか、

と矢継ぎ早に質問されたのです。

その方は年賀状をやめたいらしいけれど、やめるタイミングに迷っているとのこと。

やめたい、という人はたくさんいるけれど、実際にやめた、という人に初めて会った、とのこと。

 

私の場合、きっかけらしいきっかけはなく、

そもそも年賀状の目的がkeep in touchにあったわけだけれど、

SNSがそれにとって変わっている、を実感したのでやめた、と。

 

何かきっかけが、いかにもなきっかけがないとやめづらいんですよね、とその方。

そんなゆる〜い感じでやめたんですか?と驚かれる。

 

そうかぁ〜。そうなのかもね。

 

私は何にしても、自分が興味がなくなったらやめる、

(惰性、ってのが本当に苦手なのです)ので、

やめることに抵抗がないのだけれど、

でも、何にしてもやめたいけれどやめられない、という人の方が圧倒的に多いように見受けられるので、

なるほどなぁ、と思ってしまったわけです。

 

生まれ育った環境が既成概念を押し付けてこなかったので、

抑圧されないまま大人になったんだなぁ、私、とこういうときに感じるわけです。

(ここ数年、びっくりするような理由にならない理由で理不尽な目に遭うことが多く、ようやく意識するようになった、って感じ)

 

 

始める < 続ける < やめる

の順に難易度が上がる、気がする。

始めるのも大変だけれど、継続するのはさらに大変で、やめるのはもっと大変、な気がする。

 

これ、年賀状だけでなくって、

いろんなことに当てはまり、

もう、やめていいんじゃない、

って思っている人が多くても、

誰もが納得できるような理由づけがないと発言すらできず

(本当はそんなものはなくって、やめどきと思えばやめればいいと思うのだけれど)、

自分が矢面に立って責任を取らされるのはもっと嫌、というね。

だったら、目をつぶって自分に火の粉がふりかからなければそれでよし、で、

惰性で続けている、という、ね。

 

会社の不祥事なんか、なんでここまで放っておいたんだって思うけれど、

根幹はここなんじゃないかなぁ。