書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ボヘミアン・ラプソディ礼賛への違和感

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映画自体がどうこうではなくって、

なんだろーなー、

クイーン然り、ポール・マッカートニー然り、日本ならサザンオールスターズなんかがそうですが、

大御所とされるものに無条件に礼賛する空気感がものすごおおおおおく苦手

(例の事件も、上沼恵美子に無礼をしたことが問題ではない、と思うんだよね〜)。

 

もっと広げると、ディズニー大好き、ジブリ大好き、もそうで、

みんなこれ好きよね!を大前提にした、無言の“これ、好きよね!ねっ!ねっ!”圧力も、そう。

 

苦手、そんなことないんじゃい、ここはいいけどこういうところは時代遅れ、

みたいな意見がかき消されてしまう、

言いづらい空気のバリアみたいなものが、うへ〜、って感じ。

 

いいと感じてるのは素直にいいでいいんだけれど、

みんながいいっていうから合わせる、みたいなニオイが感じられ、

それがなんだかなぁ。

 

 

今秋、リヴァプールミュージアムでの開催されている「Double Fantasy」を訪ね、

これ、ジョン・レノン小野洋子の展覧会で、

www.liverpoolmuseums.org.uk

改めて、自由(性、人種etc)に対するラディカルさを感じてしまったわけだけれど、

同時に、どっちの息子だったかな、

「父さん(ジョン・レノン)はどうしようもない人間だった」みたいな発言をしていて、

確かにそうだろうなぁ。

 

真心プラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」は、私の心情を代弁している感じ、よくわかる。

尊敬と愛情がベースにありつつも、引いた目で見ているところもあり、

同世代だからかな〜(私が彼を知ったときは、まだこの世にいたけれど)、

ぐらいに捉えていました。

 

「拝啓、ジョン・レノン」発売当初は、放送禁止とした放送局もあり、呆れ返ったのだけれど、

大御所を無条件に持ち上げる様相を見ると、

今はそれを同調圧力のような大きな空気感でやっている感じ。

いや〜、いい部分もあればそうでないところもあるでしょ。そして、それが当然でしょ。

 

今は、いちいちアンチテーゼとかカウンターカルチャーといった、

何か(既存)に対抗する姿勢を見せる時代ではないと思うのだけれど、

こんな状況だと新陳代謝は起こりづらいよなぁ。