書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自分の言葉を豊かに肉づけするために

f:id:ricorice:20181122210526j:plain

 

外国語に限らず、私、母国語である日本語でも読み書きは得意ではありません。

文字を読むよりも数字を眺めるほうがよっぽどおもしろく楽しい。

 

とはいえ、出版物のダイレクションや執筆といった、言葉を扱う比率の高い仕事をしているので、そうも言ってられず、

そのために、では息が詰まってしまうけれど、

とにかく自分の引き出しを増やすしかないので、

良質な本や記事を読むのがいいのよね〜。

 

今、体感としてよくわかる。

プロとして通用する文章から、読み応えのある文章にレベルアップする段階にきているんだろうな。

仕事を始めて以降は資料や類書の類に目を通すのがいっぱいいっぱいで、

それ以外の本はほとんど読んでいなかったけれど、

名作や古典の類をを読みたくって仕方ないもの。

 

 

イギリスものをやっているので、なんやかんやで日々英語にふれていて、

「『イギリス菓子図鑑』(自著です)を英語にしてよ〜」とイギリス人の知り合いや友人らに言われるけれど、

「それは荷が重いわ」と答えると

「ジョセフ・コンラッドは母国語じゃない英語で『闇の奥』を書いたんだよ」と言われる始末(おいおい、同列に語るんじゃない!)。

 

「読み書きが得意じゃないんだよね〜」と言う私に

「読書量が足りないんじゃないの? ボキャブラリーや言い回しの構築は読書から!」と力説される始末。

 

 

言語は変われど、一緒かぁ。

表現する、できるだけ正確にわかりやすく、となると、やっぱり自分の中の引き出しを増やす、なんだよなぁ。

 

母国語でない英語は根幹を叩き込む、と文法に意識的にふれてきたけれど、

こちらも次の段階、書く、そのために、読む、をする時期に来たのかもしれない。