複数人数で仲よく行動するとき
1〜2年前だったか、スイス人/フランス人数人と行動を共にした方が、
「この人たち、誰かがやりたいことがあると、それが終わるまでみんな待っているんですよね。日本人同士だとやりたいことあっても、周りを待たせるから、とささっと済ませそうなのに」と驚いた様子で話し始め、
意識したことなかったけれど、頭の中でぼんやりと引っかかっていて、
あっ、こういうことか!と思いいたったのが、今秋のイギリス滞在で。
私はさして興味がない人を巻き込むのが苦手なのと、待たせるのが好きではないこともあり、
本当に興味のあることは単独行動に走るきらいがあり、
なので誰かとずっと行動をともにする、ってことはほとんどないのですが、
今秋のイギリスではローカルの友人と朝起きてから夜寝るまでずっと一緒、というシチュエーションが多く、
こういうことを言っているんだな!と深く納得したのです。
どこかに出かけるでしょ、気になったお店とかがあれば、
「入っていい」と聞いて、しばらくブラウズする。
ほかの人はどうしているか、っていうと、
興味を持てば一緒に入ってくるし、興味がなければ外で待っている。
そこには早くしろよ、みたいな態度はないんですよね。
待っているの、退屈じゃない?と思いきや、自分が逆の立場になると、
別にそんなことなくって、
周囲をぼんやり見渡しながらつらつらと考えごとをしたり、
一緒に待っている友人がいればおしゃべりをしたり、
新聞や本を読んだり、今ならスマホを眺めたり。
象徴的だな、と思ったのが、
友人が「今日はジャンクなファストフードのハンバーガーな気分」と言ったけれど、
私はまったく食指が動かなくって、
でもメニューにのれるものあれば、と思ったけれど、なくって、
「私の今日の気分じゃない。穀物のサラダボウルとかそんなの食べたい」って言ったら、
「じゃあ各自好きなもの買って持ち帰って食べよう」となり、
無事、それぞれが好きなものを食べた、という。
何が言いたいか、っていうと、
それぞれがそれぞれの意思や嗜好を尊重し、
それに伴う待つetcという行為は、(本人たちは意識していないだろうけど)当然のこととして受け入れている、ってこと。
逆の立場に立つと、自分が待たせるわけだけれど、
そこにも待たせている、っていう意識はないんだろうな。
もし長ければ、そろそろ退屈してきちゃった、みたいなことを言うし
(咎めるわけではなく、ってね)。
日本人同士だと、関係性が深い場合を除いて、
待たせているんじゃないか、みたいな意識がまず働くように思うんですよ。
なので満足いくまで眺める、みたいなことはしづらいような気がします。
先のハンバーガーがいい例で、ファストフードで妥協するか、
あるいは別のもの食べたい、といったら、ワガママみたいに言われるか、
え〜、なんで?と反応されるか、が大半じゃないのかな
(同調を求められる、というか)。
みんなで仲よく、と言っても、
個人を尊重するか、場の空気を重視するか、
そのアプローチは全然違うんだなぁ、と感じた次第。
自分では気づかなかったけれど、相手によって使い分けているなぁ、私。
それは関係性にもよるけれど、国(地域)という属性によるところが大きい。