書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

言語障害、というのではないけれど

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おそらく私は適応能力が高いのでしょう。

新しい場所、そしてそこでの食事とか慣習とかにすぐ慣れる。

 

しかし、だからなのでしょう、元に戻すのが大変で、

離れていたのと同じぐらいの期間を要します。

それは、操れないにしても、言葉も同じ。

 

先日ふとした会話からそういえば言語障害とは違うけれど、そんな時期があったことを思い出しました。

いや、言語障害というか脳機能障害だったのかもしれません。

かつては使っていた脳の機能(回線かもしれません)をしばらくほったらかしにしていたので、再起動に時間がかかった、というか。

 

イギリスから帰国したときの私は、もうね、日本語が出てこないんですよ。

厳密には出てくるのですが、熟語が出ない、四字熟語は不可能。固有名詞(ホテルや飲食店、タレントの名前など)がよっぽどのものでない限り出てこない。

書く分には、これってどう言うんだっけ、と思い出しながらゆっくりと自分のペースで、でしたが、

話すのはぐったり、って感じで。

言いたいことはあるのだけれど、思うように喋れず。

語彙が小学校低学年程度だったと思います。

 

なんて言うと、さぞ英語が流暢になって、って思われるかもしれませんが、決してそうではなく、

そりゃ確かに、ある程度は、ではありましたが、

帰国した当時は、とりあえず詰め込めるだけ脳にパンパンに英語(言葉だけでなく考え方とか)詰め込んで、まだ脳の中にきちんと収められていなかった状態だったと思います。

 

英語の環境にすっかりなじんでしまったんだと思うんですよね。

帰国後も、夢はしばらく英語で見ていたし。

 

当時は、今のようにスマホで日本とも気軽にやりとりしたり情報を見たり、じゃなく、

携帯は持っていたけれどイギリス国内用だったし、

WiFiなんて夢のまた夢って時代で、ラップトップは持参していたけれど、

限られた場所で限られた時間でしかネットにつなげず

(ネットカフェなんてものもあった時代だからね)。

 

加えて、日本語環境を、特に言語を集中してやっていたときは意識的に遮断していたってことも大きかったかも。

日本人とつるまないようにしていたし、

その時点で、日本語も英語もおぼつかなかったので、とりあえず英語を第一言語で使うことが多かったし。

 

 

帰国してあまりに日本語がうまく使えなかったもの

(こんなことになるなんて、まったく予想していなかった)、

楽観的なので、そのうち、日本語を操ることも時間の経過とともに元に戻るだろう、

そうでなければ、その状態で生活できる手段を探るか〜、で、

結局、日本を離れていたのと同じくらいの期間を経て、

(おそらく)元に戻ったかな〜、です。

 

 

こういうのはいわゆる言語障害とは違うのでしょうが、

思うように言葉が操れないもどかしさを抱えていた時期が私にはあったので、

こういう記憶はときどき引っ張り出すと、

自分にも他者にもおだやかに接することができるように感じます。