書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

仕事に鍛えられているんだよね

f:id:ricorice:20180822145442j:plain

9月発売の食書籍が、昨日校了しました。

校了とは、制作サイドで最終チェックをし、データを完全なものにアップデイトし

(厳密には、色味は印刷所に補正、調整をお願いすることもあります。

 デザイン、文字に関してはこれで印刷してください!の状態に持っていきます)、

印刷所に渡すことです。

 

印刷所でも確認をして、そうしていよいよ印刷となります。

これを下版と言います。

江戸時代の木版の名残りが印刷用語には多々見られます。出版社を版元と呼ぶのもそうですね。

校了し、下版まで行けば、印刷の工程に入るので、よくも悪くも取り返しがつかず、

制作の手を本当に離れる、あとは製本、配本を無事にお願いします!という状態になります。

 

 

通常、私が携わる印刷物(広告除く)の場合、

入稿(印刷所にデータ一式を渡すこと、そうして色校と呼ばれる試し刷りをしてもらいます)したらひと段落で、

あとは色校で色味の確認と、文字&デザインは見逃していたものを修正、という内容になるのですが、

今案件は入稿してからもドタバタが続き、

入稿後、ひとまずこれで、なんて思ったのは束の間、ずっとあれやこれやな日々でした。

 

ようやくそれが終わり、あとは下版の連絡を待つのみ!

と言いたいところですが、最後の最後に、あ〜〜〜〜〜っ!なことが発生し、

印刷延期もしくは中止、ってことがないわけではありません。

大きな間違いだけでなく、一夜にして情勢が変わり、世に出る前に気づいてよかった!ってこともあるわけで。

 

 

心休まらない、と言えばそれまでですが、

こういうのは自分の範疇を超えたことになり、考えても仕方ないので、

起こったら起こったら、そんなもの、そんなこともある、と捉えるしかない。

逆に言うと、そういう心構えでいないと、ストレスがんがんで、精神を病みそうです。。。

 

理不尽なこと、自分の範疇を超えた事態が発生すること。

矢面に立つのも、というより、今や矢面に立つのが仕事だし、なぁ。

予想だにしないことは起こるけれど、それも含めて受け止め、原因追求をした上で、同じ轍を踏まない、結果、好転させていけばいいじゃない。

 

そうやって考えると、仕事に鍛えられているなぁ、とつくづく感じます。