書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

私を奮い立たせるもの

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嫌な目に遭ったり、理不尽な仕打ちをされたり、

これは人と関わる以上避けては通れないもの。

それをバネに、っていうけど、本当かな?

 

私が私を奮い立たせるもの。

それは、あのときあんなに頑張れたじゃない、だなぁ。

そのときの自分のレベル以上のことを成し遂げ、きちんと成果も評価も報酬もついてきたときを思い出し、

大丈夫、大丈夫、Hold on、Hold on、Carry on doing

って自分に言い聞かせてやり続け、

長い暗いトンネルの向こうに光を見出すって感じ。

 

 

嫌な目に遭ったり、理不尽な仕打ちをされたり、に対しては

思い出すだけで不愉快な気持ちになって精神衛生上よろしくない。

忘れる、ってわけにはいかないので、自分の頭の中の見えないところにうっちゃる。

同じ轍を踏まないように、避ける、逃げる。

 

それでも、過去そういう仕打ちをした人たちに対面せざるを得ないときは、

必要最低限のやりとりで済ます。それ以上でもそれ以下でもなく。

なるべく平穏に気持ちを保って、また仕掛けてくるな、と思ったら軽く受け流す。

 

 

時間が経てば変わる。自分も変われば相手も変わる。状況だって変わる。

それで、その変わり方がベターな方向だったら、

いざとなると平気で手の平を返す可能性があることを念頭において、少しだけ距離を縮める。

 

でも、そういうことはあまりないかな。

人は変わるけれど、それは表面上であって、本質は変わらないのかもしれない。

そうしたら、最低限必要なやりとりで済ます。

そこでは、過去のことを思い出し、再びはらわたが煮えくり返っていることはいったん封印。

その感情が伴うと、よろしくない。

なので、できる限りニュートラルに努める。

 

 

それと過去の嫌な体験をバネに、見返してやるとか、って虚しい気がするんですよね〜。

結果として、ぎゃふんと言わせてやった、ってのはありだけれど、それは第一義じゃない。

 

見返してやる、だとそれが達成したときに何が残るんだろう。虚しさじゃないのかなぁ。

見返してやる、だとそこに到達するまで、過去の嫌なことを追体験するってことよね。そもそもそれが嫌。

 

水に流す、ってことはしないし、できない。

やっぱりいったん脇においておく。

そして、同じ目に遭いそうになったときに、以前はこうだったんだぞ! 気をつけろ!と自分に警告するときに、一瞬だけ取り出す。

 

 

自分の中の過去の成し遂げたことを思い出し、それを励みにする方がよっぽど楽しいな。

未来への希望が持てるよ。