書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

今ごろニュース、とはこれ如何に

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10日ほど前かな。

ラジオをつらつらを聞いていたら、その番組はニュースを掘り下げることを意図している番組なんだけれど、

EU欧州委員会が、使い捨てのプラスティック(ビニール)製品をやめよう(ストローとかね)の提案公表が取り上げられていて

(海洋プラスティック汚染の原因だから)、

そこで初めて知ったような口調で話が展開され、

ものすごおおく不思議な感じがしたのでした。

 

もう何年も前からヨーロッパでは大きな議題になっていて、
プラスティック製品に限らず、紙コップとか、

スーパーマーケットやコーヒーチェーン、航空会社の取り組みがそのたびごとに大きく取り上げられ、話題になっていて(↓)、

ricorice.exblog.jp

確かに欧州委員会の提案公表という意味ではつい最近なんだけれど、大きなうねりをあげ始めたのは何年も前で、

その報道の仕方のギャップにただただ驚く

(今はいい時代になったので、いち個人でも各国ニュースが瞬時にキャッチできるのです。

 私は食が専門なので、この手のニュースは否が応でもことあるごとに目に入る、ってこともありますが)

 

テレビをおいていないのでわからないけれど、

そのラジオ番組ではニュースがテーマだから(でしょう)取り上げたものの、一般的に広く報道された、のかな(そうとは思えないけど)。

ウェブのニュースサイトでちょろっと取り上げたのは見たことがある。

 

 

なにかあるとすぐに、たいして考えもせずに欧米の流れにははぁ〜、ごもっとも!って、のっちゃうくせに、

こういうのは、無視。

 

いや、あえて無視、な気もするんですよね。

このプラスティックの使い捨て製品禁止もそうだし、フードロスもそう。

 

 

なんだろう、いまだに経済をいかに回すかが最優先で、産業界におもねてる、っていう図式なんだろうか。

もちろんそれはお金に変わる絶対的な価値基準が現れない限り大事だし、私だってお金はがっちり稼ぎたいと思っている。それが指針としてわかりやすいから。

でも、それはそれとして、環境に対する人々の意識って大きく変わってきているのに、なぁ。

 

日本で一般ゴミを分別するようになって長いけれど、根本的なところでは流れが起こっていない、起こらない。

20年ほど前、イギリスに住んだとき、分別しないの、と訊いたら、ゴミはゴミだ、と返され、呆れ返ったのに、今は人ん家でゴミを捨てるときとか注意されるし、スーパーマーケットなどにはレジ袋はないし、時代は変わったよ、日本がほとんど変わっていない間に。

 

 

欧州のそういう流れを無視するのは勝手にすれば、なんだけれど、

この使い捨てバンバンを今も当たり前のごとくやってるのって、

現在日本に在住、観光でやってくる人をはじめ、オリンピックでより多くやってくる彼らの目には明らかに間違いなく環境後進国に映るんだよね〜。

 

サーヴィス(おもてなし、っていうんですかぁ)の名のもとの過剰包装とか、

レジ袋、割り箸、プラスティックストローやカトラリーが自動的についてくる、ってどう思うんだろう、どう報道されるんだろう。

時代錯誤もはなはだしい、今の時代にクレイジーだとは思っても、少なくとも間違ってもおもてなしとは思わないでしょう。

 

どーでもいい精神論的なおもてなし、ふわっとしたクール・ジャパン(この表現、本当に恥ずかしい!)よりも、こういう目に見えてわかることを先進的にやる方がよっぽど得策じゃないの。

(あとインフラね。表示の分かりにくさとか)

今からでも遅くないのでオリンピックをとっとと返上する、ですね。