書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

絶望的なほどの無自覚さにがっかりするやら呆れるやら

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今って5月が運動会シーズンなんですね〜。

 

そんなニュースを聞きながら感じる、大いなる違和感。

「お母さんはお弁当作りで大変」

「お母さんは子育てで大変」

「お父さんは手伝う」

 

ねぎらって、物わかりのいいいつもりでしょうが、それ以前に、

火事・子育て → 母親の仕事

という、昭和的な役割にのっとって話をしているのにまったく気づいていない。

 

お弁当は誰が作ってもいいし、買ってきてもいいじゃない。

子育ては家族や地域や関わりのある社会全体ですればいいじゃない。

手伝うっていうのは自分の仕事って自覚がない証拠。

お父さんがそういう役割を担っている家庭に対しても失礼じゃない?

 

これ、お母さんとお父さんをおきかえてみればよくわかる。

 

「お父さんはお弁当作りで大変」

「お父さんは子育てで大変」

「お母さんは手伝う」

 

もっといえば親がしなくても祖父母でも親戚でも保護者でも誰でもいいじゃないか、って思うんだけど。

 

 

社会ニュースとして、男女の家事負担、女性の社会進出を、そうだそうだ!とさもわかったような風を装っているけれど、

まずはこういう身近なところからじゃないの?

あまりの無自覚さ、あまりの他人事さに呆れるやらびっくりするやら。