書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

FENが果たした役割を検証したい

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おそらく私が最後の世代じゃないかな(私は1969年生まれです)。

ネットのない時代、今ほど情報がない時代、

本州の西端で中高生だった私が、音楽(洋楽)に目覚め親しんだきっかけとして

FEN(Far East Network、現在のAFN)の存在は大きい

(もっとも、そんなに好みの曲ばっかりがかかっていたわけではないけどね)。

 

FENは何かっていうと、海外基地在住するアメリカ軍人とその家族のための放送局なんですね。

山口県岩国基地があるので、ばっちり入ったのです。

 

当時は今のようにネットでラジオが聞ける時代ではなく、

ラジカセをチューニングして聞くわけですが、放送局も今ほど多くないし、

田舎だから地元の放送局では飽き足らず、たとえば東京や大阪のラジオを聞こうと(昼間はダメだけど、夜は入った)、

チューニングしているときにFENにぶつかった、のです

(同時に朝鮮語か韓国語かの放送も夜中になるとめちゃくちゃよく入ったのよ)。

 

This is the Far East Networkが時報代わりだったな

(というのも、実際にこのあと、ポーンという音で時刻を伝えていたのです)。

 

ベストヒットUSA』は放送していたけれど、夜中過ぎだったし、MTVは観られなかった。

ほかにテレビで洋楽を紹介する番組ってあったかなぁ(ケーブルテレビって時代でもなかったし)。

でもこれらのテレビ番組の存在を知ったのは高校に上がってからだったから、

中学生のときは、音源は圧倒的にラジオでした。

 

浜田省吾広島県出身)が、FENはラジオの端っこにあった、って発言を昔読んだことがあり、

思わず、そうそう!と。

 

長崎県佐世保出身の村上龍FENについてなんだか言っていた記憶。

 

西城秀樹が亡くなったとき、それまで別段深い思い入れがあったわけでなく、

いつもは有名人や芸能人の訃報にふれても、私のなかでいちニュースという位置づけだったのに、

えらくショックを受けて、いろいろニュースを眺めていたら、

FENを聞いていた、というのを見て、あっ、そういうことか!と妙に納得

西城秀樹は広島出身)。

 

 

これまでぼんやり思っていたけれど、

日本のポップスとかロックとか、って

その存在の意義はいったんおいておいて。

FENそして基地の果たした役割はやっぱり大きい、と確信。

 

今のようにどこにいても情報がとれる時代じゃなかったことも大きいし、

基地の近いかどうか、という地理的要因もある。

東京でも都内だと、そもそものラジオ局が充実しているから、FENを聞いたことない、存在も知らないってのは珍しくない気がする(ひと昔前の田舎ではとにかく情報に餓えていて、すると以外と現地直接にいきついたりする)。

 

きちんと検証したいなぁ。