書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

そんなもんだ、仕方がない、を連呼する人に要注意!

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仕事をしていると(もちろん仕事だけではないけれど浮き彫りになりやすいので)、

理不尽なことの連続で、どう闘って、どう折り合いをつけていくか、になるのだけれど、

この理不尽さは、はっきり言って地方都市が、ひどい!

 

都会がよくて田舎がダメでも、田舎がよくって都会がダメでも、ない。

地方都市の中途半端な位置づけが、

妙なヒエラルキー意識にしばられ、

結果、お山の大将、井の中の蛙を生みやすく、

そこに異分子が入ることが本当に目障りなんだろーなーと推察するわけです。

 

そこでうんざりするほど聞かされるのが、

「田舎だから仕方がない(あれれれ〜、普段は田舎と呼ばれると血相変えて怒るくせに、こーゆーときだけ自らを田舎って呼ぶのね)」

「そんなもんでしょ、このくらいガマンできないの」

 

そこに明確な理由はなく、頭に浮かぶのはなれあい、惰性、という言葉。

緩衝役として入っている人たちは、こちらにばかり折衝を求める、

向こうにはごもっとも!とへーこらへーこらするばっかりで。

 

 

“穏便にすませたい”ことは“ガマンを強いる”こと、じゃないよね。

それぞれが問題点を出し、納得いく形を探す、ってことだよね。

強いる“ガマン”の矛先は外注や弱い立場にだけ向けられるわけで。

 

そんなもんだ、仕方がない、ガマンしてよ、という態度の人は、

自身の考え、ってものはなく、ただのことなかれ主義なので、

その場の空気で権力のある方、マジョリティになびく。

 

昨今大きな問題となっているセクハラもパワハラも、

もちろん、こういうことをする本人が諸悪の根源なんだけれど、

同時に、そんなもんだ、仕方がない、ガマンしてよ、の人たちも加担しているわけなんだよね。

だって彼らの言動は、問題をただただ助長していることに他ならないのだから。

大問題になると、けしからん!みたいなことこそ言って、自分は違う、みたいな態度をとるけれど。

 

直接手をくださなければいいってもんじゃない。

自分がどういうふるまいをしていて、それがどういうことをもたらしているかに、あまりに無自覚なんじゃないか、って思う。

 

 

なので、

「そんなもんだ」

「仕方がない」

「ガマンしてよ」

が口癖の人は、私の中の要注意人物リスト。

自己保身に懸命なあまり、平気でことを助長し、平気で裏切り、平気で寝返るから。