書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

相手が大変なときにどうふるまうかで本質が見えるな〜

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仕事でつきあいのある人とプライヴェートでも、ってことはほとんどなくって、

物理的な距離が遠くなり(私は東京を離れたから)、仕事もしなくなると、疎遠になるのはごく自然なこと。

ネットや情報網が発達した今のこの時代だし、共通の知り合いもいれば、

その気になればいつでも、と思っているので、

頑張ってこちらから連絡をとり続けたりは、しない。

 

そんな中、元気かな〜、とふと気になる方がいて、

積極的な年賀状をやめた私なので、そういう定期的な近況報告もなく、

そもそも仕事で直接どうのってことはなく、せいぜいときどき総論的なところでのやりとりぐらいで

(私が関わっていた仕事では、その方は総締め的な役割だったので)、

でも、お話ししてみたいなぁ、と思ってお食事に誘ったことがあったとき、

とても喜んでくださって、それが印象的で

(上の人、っていうのかな。そういう人はなかなか誘いづらいの、かな?)。

 

 

共通の知り合いから、その方がご病気を患ってらっしゃる、って聞いたのは1年ほど前のこと。

知人は半年前に会いに行って、そのときの様子を知らせてくれて

(私も行きたかったけれど、東京は遠かった。。。)。

 

胸が締め付けられる思いがしたのは、

「仕事をバリバリやっていたときは、上の立場ってこともあって人が寄ってきたけれど、第一線を退くと誰も見向きもしない」とおっしゃっていたとのこと。

 

あんなに人に囲まれて華やかに見えたのに、そんなものなのか。。。

 

ご病気だから中心的立場で仕事を、ってことはもう無理でしょう。

でもできることってあるんじゃないかな〜。

 

人間の尊厳って、誰かに必要とされて、誰かの役に立っている、というのが実感できることだと思うんです。
その方のできる範疇で、たとえばこちらもマンパワーが必要なときにタイミングとかがうまく合致すれば、手伝ってもらおうかなぁ、って考えてみたり。

同情じゃなくってね、あくまで仕事なので、お互いにうまく都合が合えば。

(私はひとりでなんでもやろうと思っていません。それは集中力はそこまで持続しないし、息抜きも必要だから(自分の下に人がいれば、仕事は任せないと覚えないだろうからお願いして、責任をとる役に回ればいい)。状況判断で、アウトソーシングできるところはアウトソーシングすればいい、って考えです)

 

 

それにしても。

いいときに人は寄ってきてちやほやするけれど、

そうでないときは、目もくれない、ってこういうことなのかなぁ。

もちろん、個々に事情はあって、気にはなっているけれど、って人もいるだろうけど。

 

なんだかいろいろと考えさせられます。