書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

針小棒大な“親日家”という飾り文句は要らない

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オリンピックに興味がない私のような人間にも、自宅にテレビをおいていなくっても、

ニュースってものは入ってくるわけで、

連日、オリンピック関連のニュースが耳に届きます。

 

うんざりするほどの日本人選手ばかりの報道に加え

羽生結弦選手や小平奈緒選手はもちろん掛け値なしにすばらしかった(んだろう。観てない)けれど、

同時にネイサン・ チェン選手や李相花選手がどれほどすごい選手なのかを、むしろ知りたくなった。

 でもね〜、あんまり報道されていないんだよなぁ。。。)、

???なものが、またしてもあふれていて、またしてもうんざり。

 

 

外国のスポーツ選手に“親日家”という形容詞をつけること。

こんなの、必要?

その選手のアスリートとしての資質にはまったく関係のないことよね〜。

 

スポーツ選手に限らず、だけど、政治家にしろ俳優にしろ、

「日本はいい国ですね」と発した言葉を、

舞い上がって“親日家”って表現し、

それが、イコールいい人になって、

彼らの本質を見ないって、どーゆーこと?

 

そりゃ「日本の印象は?」と訊かれて、

よっぽどのことがない限り、当たり障りのない、リップサーヴィスをするでしょうよ。

自分が外国に行って、その国の印象をきかれて

「ここがよくない、あれがダメ。がっかりだ!」なんて言わないでしょ。

それと同じこと。

 

いい人かどーかは、私にとってはどーでもよくって(それにいい人の定義はひとによって違うし)、

それよりも、スポーツ選手ならその競技の、俳優ならその演技を

見定めてそれに対して質問をし、それに対して報道をする、もんじゃないの?

 

資質と印象をごっちゃにして、本質をまどわせるようなこと、やめてほしいなぁ。