“ガールパワー”と“女子力”では、180°概念が違う!
1990年代を席巻した、イギリスのガールズ・ポップグループ、
スパイス・ガールズの(何度目かの)再結成が報じられ、
聞くたびに新鮮味が減ってきたなぁ、と思うわけですが、
そのたびに“Stop”の動画をYouTubeで観て、ひとり盛り上がる、という(苦笑)。
(“Stop”はモータウンっぽい名曲! 振り付けも覚えてるぞ!)
もっとも歌唱力が評価され、ソロ歌唱パートも多かった
メルC(スポーティ・スパイス)は解散後もソロシンガーとして活躍。
ヒット曲もとばしたし。
イギリスのリメンバランス・デイ(Rememberance Day。詳細はぐぐってもらうとして、簡単にいうと、戦没者を悼む日)の頃、ロイヤル・アルバート・ホールで開催される、戦勝国らしい威風堂々として華やかなセレモニーでも、
昨年、2017年はゲストシンガーとして登場したしなぁ。
ここに登場する、ってことは一部の層だけでなく国民に広く知られていることが前提、なわけで。
で、ふと思い出したこと。
メルC、今もあるかどうか不明ですが、
腕に“女力”ってタトゥーを入れていました。
これって、彼女がスパイス・ガールズとして登場した、1990年代の象徴でもあり、
ガールパワー/Girl Power、つまり、「女(の子)は独立した存在で、たくましいのよ」というメッセージの発信でもあるのです。
1990年代には、ビキニ・キル/Bikini Killやライオット・ガール/Riot Grrrlが登場し、そんな溌剌としたパワーがみなぎっていたんですよね〜。
それは脈々と受け継がれ、ロシアのプッシー・ライオット/Pussy Riotの一連の騒動とか(最近おとなしいけど)、その文脈上であるのかな〜、と思うのです。
現に、2001年には、オックスフォード英語辞典には「パワーを行使する女の子、その様。野心、自己主張、個人主義に現れた少女と若い女性の自立的態度。より広範に(特にスローガンとして)使用されるが、この言葉は特にポピュラー音楽に繰り返し関連付けられる。最も注目すべきは1990年代半ばに、アメリカ合衆国で短期間で著名な「ライオット・ガール」運動が行われたことである。1990年代後半にはイギリスの女性グループ、スパイス・ガールズと結びついた。」という定義で追加されたってことだし。
現在、ガールパワーは当たり前になり、女の子に限らず、もっと広く、社会的、性的マイノリティにその動きが移っているのが、現状かな〜と感じます。
翻って、日本。
私は“女子力”という言葉をこの世から抹殺したいのですが、
これって要は“性的役割を担え”ってことですよね。
“家事能力があり、かつ異性受けする言動、を身につけろ”“男受けする存在になれ”ってね。
で、この“女子力”をそのまま言葉を英語に置き換えると、先の“ガールパワー/Giirl Power”になるんだけど。
意味は180°違うんですよねぇ。
使っている人たちも、自虐的だったりするんだろうけど、フラットじゃない世の中にうまくのっかっている、うまくのっかるのが賢い、って空気も好きじゃない。
そんなこといちいち気にしない世の中がいいなぁ。
数年前、某男性スポーツ選手の「好きな女性のタイプは、三歩下がってついてくる人」という発言をきいて、のけぞりそうになりましたが、
(そして、それを嬉々として伝えるメディアにも二度びっくり)、
まだ、当時30歳前後の若い男性がこんなことを言うなんて!
(もっとも、今どきスポーツ選手に、本筋とはまったく関係のないこんな質問をすることにもびっくり!)
日頃、今の20〜30代の若い男性はフラットで、気配りもできていいなぁ(お茶を淹れる、飛行機で荷物をとってくれるetc)、なのに。
いろんな考えの人がいていいんだけど、そういう発言を、仮に思っていても、今日日堂々とするってことにがっかり!
日本のなにも変わっていない、むしろ後退すらしているような空気を象徴しているようで、この流れって一体どこから来るんだろう?