書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ふさわしい肩書きを模索中

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自身の肩書き&プロフィールを提出する機会が立て続けにありまして。

こういう要請があると、客観的に自分の仕事を見ることができ、棚卸しができる、ので、なかなかに貴重な機会だなと痛感しています。

 

・イギリスの食研究家
・食の編集者、ダイレクター、ライター

・食のプランナー、アドバイザー

・情報発信サポーター

 

といったところで、それを媒体に応じて、ふさわしいものに出し方を変えています。

 

 

そのなかで、つくづく編集者はわかりづらく、ライターについては地位の低さを感じる今日この頃です。

私の場合は食がメインで、ただそれは、ここおいしいね!みたいなガイド系はほとんどなく、

厨房に入って技術を確認したり、経営の話をきいたりと、深く入り込むので、

相当の仕込み(類書に通す、関連店に行く、場合によっては資格をとる、学校に行く、海外視察もする、語学含め専門用語を習得する)が必要とされます。

 

それが別段エライとは思わないし、プロであればそういう骨格となる基盤を持つのは当然のことなのだけれど、そういう裏づけのための投資を見て見ぬ振りなのか、ないがしろにされ、

店に行きさえすれば、いや行かなくてもネットでちゃらちゃらって調べれば書けるでしょ、みたいな風潮があるんですよねぇ、なぜか制作サイドに。いや、それより先に書くのって誰でもできるじゃん!ってのもあるし。

 

専門的なことをわかりやすく、つっかからないように、見せる&読ませるのも仕事の一環だけれど、

だからといって、ちゃかちゃかと簡単にやっているわけではない。

制作サイドがそれを理解していないのは、なんだかなぁ、な気分に陥るのです。

 

そして、そつなくまとめて進行管理をすることが編集者の仕事だと思っている、自称・編集者も多いんだよなぁ。

編集者の仕事はそれが第一義じゃなく、新しい価値観や切り口を提示すること、なんだけど。

(もらった原稿のチェックをして、これ合ってる?って気づくためには、基盤なしではありえない。右から左に流すのは作業であって仕事ではない。そして、まずは企画を考えて、考えて、考え抜くのが仕事のはず、なんだけど)

 

読者にとってはこっちの苦労なんかどーでもいい話で、見せる必要もないけれど(知りたい人には開示していいと思うけど)、ね。

 

 

で、あまりにも編集者やライターに対する認識&地位が低いな〜、なので、こういう肩書きは使わない方がもはやいいんじゃないか、っと感じる今日この頃です。

 

編集会議の最新号で、シン・編集力がタイトルなのをみて、

編集と言っている時点で、まったく新しくない、これって古くない?とも感じる今日この頃です。