書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

一生懸命は、心を打つ。なんとか協力したいと思う

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書籍やウェブ、雑誌などのディレクションや企画や構成、執筆に関わる立場のときは、

・取材する
だけれど、イギリスの食研究家の立場のときは、
・取材される

ことが多く、180度まったく違う立ち位置となります。

私自身のキャリアとしては前者の方が圧倒的に長く、

取材

とがどういうものがわかっているつもりだったけれど、それは大間違いで、取材される立場になって気づくこともたくさんあります。

 

 

若い方と仕事をすることも珍しくなくなり、年齢がどうの、ってことはないのですが、

先日取材を受けた際、取材をしてくださった方が、自分の子どもといってもおかしくない年齢の方で、

仕事もまだそんなに慣れていないのかな?(まあ、それは仕事の本質とは関係ないけど)で、

一生懸命なのが、もうね、感動しちゃうわけですよ。

 

何とか足を引っ張らないように、協力しないと!と思うわけです。

(できないことはできない、範疇でないものは範疇でない、けど、自分が関わる範疇のことは、ね)

 

私なんぞ、もうすぐ50代でしょ。

なので、若い方々とご一緒するときは、彼ら感性や考え方をちゃんと咀嚼して、

その上で、なにか訊かれたら、経験値から、

それ、いいですね! じゃあこうしてっましょうか、と意見を言って、

でも、あくまで補佐に徹することが大事だろうなぁと痛感するわけです。

“訊かれたら”ってことが大前提で、訊かれもしないのに、こっちからあれこれ言う必要はまったくないわけですからね。