書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

もう出版というくくりで語る時代じゃないと思う

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headlines.yahoo.co.jp

出版業界が斜陽に入って久しいとされ、

紙媒体が売れなくなっていることを嘆き、雑誌が減っていることを残念がり、

だけれど、そんなの時代の流れで当然だと思う。

 

おっ!ってのはときどき、あとは見とくか、の資料として買うぐらい。

この業界にいる私ですらこんな感じで、雑誌を本当に買わなくなったもん。

いわんやそうでない人たちはもっとでしょう。

安全路線に走り、そんな雑誌に特徴はないし、タイアップ(広告)ばっかだし、

これって完全に雑誌の名前を広告塔にしてるだけだよね〜、って思っちゃう。

 

なわけで、美容院に行くたびに、今の雑誌消費を支えているのは美容院じゃないか、って思っちゃう。いやはや。

 

 

まあ、要するに問題を先送りしてきたツケが回っただけでしょう。

・紙、ってだけでデジタルよりエライ!と思っている

・この資本主義社会にあって定価が存在する

・流通システム

・業界を超えた新しい取り組み(どの産業も6次産業化が必要だと思う)

 

一番の問題は読者のためじゃなくって、いかに広告をとれるか、ほかでこれが売れてるからうちでもと企画とも呼べない安直さ。だから売れないんだよ〜。

本来なら半歩一歩先を行って、こんなのおもしろいでしょ!の新しい価値観を提供するのが仕事なのに。

 

 

先日、相談を受けたれど、作る側が楽しんで作ってなくって、タスクを淡々とこなすだけで、どうして読者が喜ぶと思ってるんだろう?

技術や企画や見かけや仕掛けも大事だけど、自分たちのワクワクないものは、誌面を使うだけムダ、ただのゴミじゃ!

 

 

それと、上記のニュースで取り上げられているのは、あくまで既存の出版社の話だよね。

そうでないところで、インディペンデントな出版社だってあるし、出版社じゃないところが雑誌を作ったりもしているわけで、そっちの可能性にふれられていないのはなぜだろう?

 

たとえば東大出て大手企業に入ったエリートが、そこを外れたりすると、大きく取り上げられ、エリート人生捨て、云々とされるけれど、

本人がよければそれでいいし、そんなの天秤にかけるものでもない。

既存の出版社の状況の話ばかりするのと、基本的な構造が一緒だと思う。

 

いわゆる大企業=いい会社、いい人生が、すみずみまではびこっているのに驚いちゃうよ。

なんだかんだ言って、なかなか既成概念をぬぐえない、それどころか疑うことすらできない、これこそが今の時代にはびこる閉塞感の元凶な気がして仕方ないんですけど。

雑誌は既存の雑誌という枠を、出版も既存の出版という枠を取っ払わない限り、未来はないんじゃないの?