今や自分の発言が世界に発信されるって思わなんだろーか?
記憶に新しい、
熊本市議が生後7カ月の赤ちゃんを連れいて議場に入場した件(↓)、
自民党総務会長による、宮中晩餐会の同性パートナー出席反対発言(↓)、
私自身は、いろんな考え方の人がいるので、その理由(感情論や既成概念に基づくものではなく)を明確にすれば、それはそれでひとつの意見だとは思っていますが、
どうやら上記(だけじゃないけど)には、深い考えなくただただ感じたままの言動って印象が拭えない。
現在、世界では、
赤ちゃん連れ議員が称賛を持って迎えられ、授乳もあり、
といった風潮なので、
なぜNOなのか、明確な理由が示されていないものは、
瞬く間にニュースとなり、世界に流れる。
私が不思議なのは、
こういったことは恰好の材料となり、世界に広がる、って思わなかったのだろうか、ってこと。
同じことを言うにしろ、なぜ言い回しややり方を変えようとしなかったのだろうか、ってこと。
よもや世界に、って思ってるのかなぁ。
また、世界の流れを知らないのかなぁ。
どうしてこういう逆行するようなこと、平気で言える/できるんだろう?(あえて、強い反対意見があり、しっかりとした論理立てができるのであれば、わかる。でもそうじゃない)。
そしてそれをすることで自分がより不利になることは、火を見るより明らかなのに。
自民党総務会長はその後、「言わなきゃよかった」と発言していて、
ということは、発言自体は何かおかしいこと言ったっけ?ぐらいの認識なんだろーか?
こういうニュースを逆輸入で見るたびに暗澹たる気持ちにさせられます。