書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ライターをどんどん現場に行かせるべし!(当たり前のことだけどね)

f:id:ricorice:20170909235917j:plain

書くことって、本当に軽視されているなぁ、って感じます。

日本ではほとんどの人が読み書きができるわけで、なので簡単!って思ってるみたい。

とりあえず文字数を埋めることはできる、から。

 

でもね、受け手はバカじゃない。

多少(あくまで多少ですよ)稚拙でもちゃんと思いを込めて書いた文章なのか、

それは同時にちゃんと現場に足を運んで、ちゃんと咀嚼する、ってことでもあり、

ちゃらちゃらって書いたものかどうかは、読者にしっかり見抜かれる。

 

経費削減なのか、そもそもそういう頭がないのか、両方なのか、

ライターを現場に連れていかない、現物を見せない、試供品を使わせない、試食させない、

 

発注する側が、行かなくても体験しなくても書けるでしょ、

って思ってるみたい。

そりゃ、1円ライターがなくならないわけだ。

質の低下が止まらないわけだ。

読者が離れるわけだ。

 

それが証拠に、資料だけ送ってきて(しかも五月雨だったりすることも、肝心の意図が抜けていることも)

書いて!って平気で言ってくる。

そして、書いたものを渡すと、そうじゃなくって!と言ってきたりする

(想像でどんぴしゃりはできないよ!)。

 

 

とりあえず埋めただけの文章は、

読めば一発で分かる。

 

行っても行かなくても体験してもしていなくても書けそうに思えるけれど、

確信をもって書いているのか、

こうなんだろうなぁと想像で書いているのか、

そんなの受け手は見抜いちゃうよ。

 

 

先に体験して、書くことを介在して、読者やユーザーと共有体験する、のが目的なのに、

それは必要ない! そんなの要るの?って態度は、

ライターという仕事もだけれど、読者やユーザーを舐めているとしか思えない。