書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

知らないがゆえの楽しさってのもあるのです

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つい最近、ジョゼフ・コンラッドポーランド出身だと知り、

それまでずっとイギリス出身のイギリスの小説家だと思っていたので(コンラッドはイギリスに帰化した人物)、

びっくりして、そのことを知人に言うと、

何を今さら、と呆れ返った返答。

 

私がインテレクチュアルでない、というのはこういうことだよ!

でもね、その分、日々新しい発見があるのだよ。それが楽しい。( ← 開き直り)

 

で、今、『闇の奥』を改めて読み直したく、そして、この小説を翻案した『地獄の黙示録』を改めて観たいなぁ、と思っています。

『闇の奥』は20年ぐらい前に読んだけど、ピンと来なかったんですよね〜。

 

地獄の黙示録』のなかでワーグナーが使われていたのは、

ナチスワーグナーを寵愛したように、高揚的な気分になるからかしらん(それだけが理由じゃないけど)、

ぐらいに捉えていたのが、これまたインテレクチュアルでない証拠、だと気づき、

そうか、『地獄の黙示録』で使われていた曲は、『ワルキューレの騎行』で、

ワルキューレ』は、楽劇『ニーベルングの指環』のひとつ。

で、『闇の奥』は『ニーベルングの指環』が背景にあるので、

ワルキューレの騎行』が『地獄の黙示録』で使われたのは必然だったわけで。

 

あらすじをつらつらと思い出し、最初に読んだときよりも英語の知識も備わっているので、

『闇の奥』のタイトルのもどかしさも思う。

英語のタイトル『Heart of Darkness』そのまま、せめて『暗黒の心臓』という方が内容を伝えている気がするけど、これだと初見で響かないよねえ。

『Heart of Darkness』に冠詞がないあたりも、深い。

暗黒は邪悪とか狂気(ピンク・フロイドのアルバムタイトルのように)におきかえてもいいのか。。。悩む。

 

っと、ここでまた思い出す。

アルバム『狂気/The Dark Side of the Moon』の中では、

「There is no dark side of the moon really. Matter of fact it’s all dark」とも言っているんだよねえ。

 

 

こういうことがつながっていく楽しさ。

知らないからこそ、未知のことがたくさんあるからこそ、いちいちおもしろい。

インテレクチュアルも不利なことばかりではないんだよ(と自己弁護)。