書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

やるかやらないか、それだけのことだと思う

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私が6年前に東京から福岡に移ったとき、何のあてもありませんでした。

東京は今でも大好きだし、楽しいし、今も仕事の大半は東京だし、ですが、

そのとき、「あ〜、ここはもう私の住む場所じゃなくなったな」と痛烈に感じ、

そんな気持ちのまま暮らし続けるってことが考えられなかったので、

(いずれ戻るにせよ)離れる判断をくだしたのです。

 

じゃあ、どこに住む?

いいタイミングだから、本当は海外がよかったけれど、

そこまでの財力と気力が体力となく、

う〜ん、と迷った末、福岡に。

 

なんてことをいうと、

フリーランスだから

・手に職があるから

(・英語ができるから)
って言われますが、そんなことまったく関係なく、環境を変えるってことは自分も変わるだろうから、すべてをいったん白紙に戻してもいい、って思っていたのが正直なところ。

そのときの優先順位は、住む場所の移動にあったわけで、

なかなか不況を脱出できない日本ではありますが、

アルバイトやパートはあるでしょ、いざとなればリヤカー引いて働けば少なくとも食べてはいけるでしょ、糊口をしのぐことはできるでしょ、な心境だったわけです。

 

 

ブログを、しかも2つも、毎日更新して運営しているのは、
・ライティングを仕事にしているからでしょ

って、これも、まったく違うんですよね〜。

仕事として受けて書くのとブログで書くのは全然感覚が違う。

フランス料理のシェフが毎日家でもフレンチを作るのか、

漫才師がいつも会話で漫才をしているのか、

そうじゃないよね(そういう人もいるかもしれないけれど)。

インスタグラムがいい例で、利用者の大半はプロのカメラマンじゃないのと同じこと。

 

 

いちいち訂正しないけれど、勝手な理由づけをされると心の中でささやかな抵抗があります。

(もっと言うと、そういう発言をする人の、その人のできない理由の言い訳をかぶせていること、ママあるんですよね〜)

能力とか技術とかそういうことではなくって、動機はごくごくシンプルなんだけどな〜。

卑近な例の私ですらそうであるのだから、仕事(取材)で一流の方々に接することが少なく、その経験からも、実のところトップの人たちも案外そんなもんじゃないか、って感じる。

 

要は、やるかやらないか、続けるか続けないか、それだけのことだと思う。